今回は身分関係と村(ムラ)社会の構造をメインに解説していきます。
キーワードは士農工商・田畑永代売買の禁です。
この範囲は大学入試では多く出題されるものの、意外と盲点になっている分野なのでこの記事を通してしっかりと重要項目をマスターしていきましょう。
この記事からわかること・苗字・帯刀は武士の特権だった。
・被支配階級では百姓・職人・家持町人がいた。
・村方三役ら役人を中心とした本百姓が村の運営を行った。
・幕府は安定的に年貢を徴収できるよう、田畑永代売買の禁止令や分地制限令、田畑勝手作りの禁を出した。
江戸時代の身分
(武士:wikiより)
江戸時代の身分は大きく3つに分類されます。
一つ目は武士を中心とする支配階級、二つ目は農業・工業・商業などに従事している被支配階級、三つ目はその他の小規模な身分集団です。
まずは武士を中心とする支配階級から解説します。
武士は将軍を筆頭として大名・旗本・御家人など複数の階層で構成され、苗字や帯刀といった特権が与えられました。また天皇家や公家なども武士と同等の身分です。
一方被支配階級の人々には、農業を中心に林業や漁業などにも従事した百姓、手工業に従事した職人、商業・金融などを担う家持町人がいました。このような社会構造を士農工商といいます。そして武士は家、百姓は村、町人は町、職人は仲間というように、それぞれの身分で団体や集団を構成しました。
彼らのほかには医者・儒者といった知識人や修験者・陰陽師・芸能者のような小規模な身分集団が存在していました。
そこで、下位の身分と位置付けられていたのがかわたと非人です。かわたは城下町のすぐ近くで百姓とは別の村を作って農業や手工業に従事した一方で、死んだ牛馬の処理や行刑役を強いられる身分でもありました。非人は町外れに住み、村や町の番人をつとめたり、掃除や物乞いをしたりしながら生計を立てた人々のことを指します。
ここまで紹介してきた内容はセンター試験でも出題されたことがある重要な分野なので、一つ一つの身分についてしっかりと理解して覚えていきましょう。
村社会
(百姓:wikiより)
ここでは村社会の構造について解説します。
そもそも村とは何なのでしょうか?
村とは百姓の家屋敷からなる集落や田畑の耕地、林野の3部分から構成されている共同体のことです。
村の運営をしていたのは田畑・屋敷地を持ち、年貢を納める本百姓でした。その中でも名主・組頭・百姓代からなる村方三役(村役人)が中心として、用水や山野の管理・治安・防災などの仕事を自主的に行い、発生した費用は村民が共同で負担しました。この費用のことを村入用といいます。
また本百姓には田畑・家屋敷を基準に定められた年貢である本途物成が課せられました。他にも、副業にかかる小物成や河川の土木工事での労働(国役)など多くの負担が課せられたこともおさえておきましょう。
村民は数戸ずつ五人組に編成され、年貢納入などで連帯責任を負いました。こうした村の自治によって幕府が村民を掌握する仕組みを村請制といいます。
また幕府は安定して年貢を徴収できるよう、様々な法令を打ち出します。
まず1643年に、農地の権利が移動することを禁じた田畑永代売買の禁止令を発布しました。続いて1673年には分地制限令を出して田畑の細分化を制限しました。またたばこ・木綿・菜種などの商品作物を自由に栽培することを禁じた田畑勝手作りの禁が発布されたことについても覚えておいてください。さらに1641~42年には寛永の大飢饉が起きたことで、村に出される法令も労働や暮らしについて細かく指示をするものも見られるようになりました。
今回の範囲は以上になります。最後に入試問題を用意しましたので、実際に解いて見ておさらいをしてみてください。
入試問題にチャレンジ
問 下線部ⓒに関連して、江戸時代における身分と村社会について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①入会地や用水の管理など村の運営は、城下町に常駐した武士によって行われた。
②村役人には、苗字・帯刀を許されたものでなければ就任できなかった。
③牛馬の死体処理や皮革産業に携わる者が、農業にかかわることはなかった。
④百姓身分のなかには、農業のほか、林業・漁業に従事する者もいた。
まとめ
今回は江戸時代の社会構造について解説しました。
身分や村社会の仕組みをしっかり理解しておいてくださいね。
前回の記事「寛永文化について解説(入試問題演習付き)【日本史第47回】」ですのでよければ読んでください。
次回の記事「文治政治について解説(入試問題付き)【日本史第49回】」
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