こんにちは。【世界史B】受験に役立つインド史シリーズをはじめます。ヨーロッパも終わりインドをしっかりとやっていきましょう。第3回はヴァルダナ朝と南インドの諸王朝です。
グプタ朝は異民族のエフタルの侵入により弱体化したのち、北インドは分裂時代を迎えました。7世紀前半、ハルシャ=ヴァルダナがつかの間の統一を実現したのち、北インドは長期の分裂時代となりました。
一方、南インドは東南アジアなどとの交易で栄えますが、強大な統一国家は出現しません。比較的強力だったのがチョーラ朝、パーンディヤ朝などタミル人の王国です。ほかに、セイロン島に成立したシンハラ王国などがありました。
今回の記事のポイント・ヴァルダナ朝は古代北インド最後の統一王朝(建国者:ハルシャ=ヴァルダナ)
・南インド諸王朝はインド洋貿易で繁栄した
・11世紀にはムスリム商人の一派であるカーリミー商人がインド洋貿易を制した
ヴァルダナ朝による統一(606~647)
(ヴァルダナ朝時代の地図)
4世紀から6世紀にかけて繁栄したグプタ朝は、北方の遊牧民族であるエフタル(インド語名:フーナ)の侵入により弱体化しました。グプタ朝が滅んだ後、北インドは分裂時代を迎えます。
群小国家の中で最も力をつけたのが、ハルシャ=ヴァルダナ率いるヴァルダナ朝でした。ヴァルダナ朝はガンジス川中流域にあるカナウジに都をおきます。
ハルシャ=ヴァルダナはガンジス川流域を中心に北インドの大半を手中に収めました。
この時代にインドを訪れたのが中国の高僧玄奘です。玄奘はナーランダー僧院で仏教を学びます。ちなみに義浄もこのナーランダー僧院をヴァルダナ朝滅亡後に訪れます。
ナーランダー僧院はグプタ朝にできた寺院でしたね。玄奘が去ったのち、ハルシャ=ヴァルダナが死去します。
ハルシャ王が死亡すると、ヴァルダナ朝は分裂を繰り返し滅亡します。ヴァルダナ朝が滅亡すると、北インドの仏教は衰退していきました。
中国からインドに来た僧について簡単にまとめておきました。しっかりと理解して暗記しておきましょう。
名前 | 王朝 | 時代 | 行き | 帰り | 作品名 | 概要 |
法顕 | 東晋 | 399~412年 | 陸路 | 海路 | 『仏国記』 | グプタ朝チャンドラグプタ2世の時代にインドを訪問する。 |
玄奘 | 唐 | 629~645年 | 陸路 | 陸路 | 『大唐西域記』 | ヴァルダナ朝のハルシャ王の庇護を受ける。ナーランダー僧院で学ぶ。 |
義浄 | 唐 | 671~695年 | 海路 | 海路 | 『南海寄帰内法伝』 | ヴァルダナ朝滅亡後の分裂期のインドに滞在する。ナーランダー僧院に学ぶ。 |
ヴァルダナ朝が滅んだ後、北インドにはヒンドゥー教の諸王国が成立します。各地が分断された結果、商業活動が停滞し都市が衰退しました。
南インドの王朝
(チョーラ朝の寺院:wikiより)
南インドは北インドと異なり、統一王朝は現れませんでした。地域ごとに独立した王朝がいくつか併存したままの状態が続きます。
南インドの諸王朝はローマや東南アジアとの交易で繁栄しました。
特に、ローマとの交易は季節風を利用したものとして有名です。インド洋交易で活躍したギリシア人たちは季節風を「ヒッパロスの風」とよびました。
ローマとの交易で大いに栄えたのが前1世紀~後3世紀の南インドのサータヴァーハナ朝(別名:アーンドラ朝)です。サータヴァーハナ朝はデカン高原を中心に繁栄したドラヴィダ系アーンドラ人の王朝でした。
(サータヴァーハナ:世界史の窓より)
サータヴァーハナ朝はアーリヤ文化を積極的に受け入れ、バラモンが移住し、バラモン教を南インドに伝え、仏教・ジャイナ教も広まりました。仏教とバラモン教は共存していたそうです。
インド南東部で勢力を拡大したのがチョーラ朝です。紀元前3世紀から紀元後3世紀にかけてを前期チョーラ朝と言います。一時滅亡後、9世紀から13世紀にかけて復活した時期を後期チョーラ朝といいます。
特に後期チョーラ朝はインドネシアのシュリーヴィジャヤ王国に遠征軍を送ったことが知られています。
チョーラ朝を滅ぼしたのはタミル人のパーンディヤ朝でした。
パーンディヤ朝はインド南端部にあり、後期チョーラ朝を滅ぼしたことでも知られます。チョーラ朝もパーンディヤ朝もインド洋交易によって繁栄した点は共通しています。
古代のインド洋交易圏
(胡椒:wikiより)
古代のインド洋で最も活躍したのがギリシア系商人たちでした。彼らは「ヒッパロスの風」を利用してインド洋とローマ帝国を結びます。
ギリシア系商人たちはインド洋周辺でコショウ、香料、真珠、宝石などを買い込みローマ帝国で販売します。ローマの人々は金貨で代金を支払いました。そのため、インド各地でローマ金貨が発掘されます。
やがて、インド洋交易の主人公は南インドの諸王朝の商人たちになります。南インドの商人たちはマラッカ海峡を経由して南シナ海に進出。東南アジアや中国とも交易をおこないました。
イスラーム勢力が強大化すると、ムスリム商人がインド洋にも進出します。ムスリム商人の代表がカーリミー商人でした。
カイロを中心に活躍したカーリミー商人たちはダウ船に乗ってアラビア海からインド洋を主な活動の場とします。
カーリミー商人たちはインドや東方から香辛料・絹織物・陶磁器を輸入し、エジプトで砂糖や小麦・亜麻の織物などと交換しました。イタリア商人はエジプトなどで香辛料を買い付け、ヨーロッパで販売する東方貿易(レヴァント貿易)で繁栄します。
まとめ
北インドはヴァルダナ朝による短期間の統一の後、イスラーム勢力によるデリー=スルタン朝が成立するまでヒンドゥー教を信じるラージプート諸国の分裂が続きます。
南インドは統一王朝は現れず、各地の王朝がインド洋交易などで利益を上げていました。カーリミー商人がインドからもたらした香辛料はイタリア商人によってヨーロッパに運ばれます。以上、6〜7世紀のインドの状況でした。
次回のお話はインドにイスラーム王朝が入ってくる過程を勉強します。次回の記事は「インドのイスラーム化」です。
なお、前回のグプタ朝までのお話は「【世界史B】受験に役立つインドの歴史【クシャーナ朝〜グプタ朝】(その2)」を読んでください。お疲れ様でした。
コメント
書店に売っている教科書や参考書よりも詳しく、より細かい知識が得られ、役に立つ記事だと思いました。ただ、文字ばかりだと商人の動きや時代の流れが分かりにくいなと思ったので、図や地図を増やした方が良いかなと思いました。
コメントありがとうございます。今後の参考にさせてもらいます。
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