みなさん、こんにちは。
今回は現代文の説明問題についての解き方について述べていきたいと思います。
説明問題とは、「〜とはどういうことか」「〜について説明せよ」という問が傍線部(質問部分)について具体的な説明を求める問題のことです。
国語の問題では基本的には「言い換え」「説明」「指示語」「抜粋」「要約」という問題形式があり、形式自体それほどバリエーションは多くありません。
そこで、今回は現代文の「説明」形式についてフォーカスを当てて解説をしていきたいと思います。
具体的には
- 「さらに業の深さを感じさせる」とあるが、どういうことか。八〇字以内で説明しなさい。
- 「アンパンマンは個別的な存在でありながら、そうであるとはいい切れない」とあるが、どういうことか。八○字以内で説明しなさい。
という問題を解説していきます。
問題の題材は檜垣立哉『食べることの哲学』です。
この文章は2019年神戸大学前期日程に出題された問題です。なお、今回は、解き方を中心におこなうので解答に必要な部分のみを抜粋しています。
なお、私自身、センター試験を受験した際には現代文は満点をとりましたし、長らく塾などで現代文を教えたこともあり現代文の解き方についてはそこそこ自信があります。ぜひ、勉強の参考にしてください。
問題文について
次の文を読んで問題に答えなさい。
人食について、おそらくわれわれはきわめて得体の知れない、まさしく心の奥底の澱のような忌避感をもっている。われわれは動物であり、一定のョカンカクをもって食物を摂取しなければならない。植物のように光合成をしてェネルギーをつくることもできないし、草食動物のように大量の草を反芻することでいのちをながらえさせることもできない。何も食べ物がないときには、同種のものであれ何であれ、自らが生きるために食べる。食べなければ自分が死ぬ。
だがそこで、人食をなすかなさないかは、きわめて繊細な問題をひきおこす。大岡昇平は、あくまでもキリスト教理念をもちだしつつ「言葉」と「ロゴス」の世界でそれを敢然と拒絶する。だがわれわれは、さまざまな動物が共喰いをすること、場合によっては、それは生態系的にも生存戦略的にも合理的な行為であるとのべることさえ可能である。
授業などでこの類いのはなしをすると、必ず学生が質問することがある。それはアンパンマンをどう考えるのかということである。
ただ私自身は、アンパンマンの作者であるやなせたかしという人物についても、この絵本 (というか、すでに一種のキャラクターとして、アニメその他で多種多様にも普及しているというべきだろう)についても、さして深く知っているわけではない。ただアンパンマンが、おなかがすいた者に、自分の顔を「食べさせる」ということは知っている。さらにいえば、それがやなせたかしの戦争従軍経験に依拠するものであるという事実も知識としてはもっている。飢えのなかで何かできること、何かしてあげることとは、飢えている生きを食べてもらうということでしかないこともよくわかる。
ただし、アンパンマンが「自分を食べてよ」といって、自分の顔をむしりとって食べさせる姿は、異様な「雰囲気をかもしだすものではないだろうか。繰り返すが、アンパンマンが食べさせるものは顔なのである(もちろん、このキャラクターにとって顔がアンパンなのだから)。
この絵本の不思議さは、生命にとって、そしてとりわけ四肢動物全般にとって、その人格性=パーソナリティを決定する器官である「顔」がそもそも食べ物であり、さらにそれを惜しげもなくちぎって相手に与えることにある。これは自分の肉を食べさせる、他人の肉を食べるというカニバリズムよりも、(ア)さらに業の深さを感じさせる所作ではないだろうか。余談であるが、ヴェジタリアンのイギリス人の同僚が、切り身として皿にのった刺身は食べられるが、焼き魚は食べられないと話してくれたことがある。逆に日本人にとっては、豚の丸焼きを連想すればわかりやすいだろう。顔を食べろというのは、たんなるカニバルなものではなく、相当な抵抗感をひきおこすものである。ところがアンパンマンは、顔こそを食べさせるのである。食べてはいけないものの最たる部分が食べ物であるという矛盾が、この絵本のもっとも重要で衝撃的な点ではないのだろうか。
ところがアンパンマンには、もうひとつの奇妙な細工がなされている。これもまた衝撃的であるのだが、ァンパンマンの顔とは、いささか驚くべきことに、いくらでもとり替え可能なのである。アンパンマンは、おなかをすかせた者に自分の顔を食べさせると、ジャムおじさんというコックの身なりをした登場人物が、ぱっとアンパンマンの顔をいれ替える。アンパンマンの顔そのものは複製可能で、何度もとり替えがきき、かくしてアンパンマンというキャラクターが死んだりすることはない。
これが相当に不思議な事態であることはいうまでもない。顔というのは、繰り返しになるが、人間のみならず四肢動物にとって、唯一性を示す人格を顕示するものなのだから。「誰か」という判断は、ふつうは「顔」によってなされる。食べられる以上に、唯一的なものがとり替え可能であるということは、その設定をさらに奇妙にさせている。
アンパンマン の顔を食べるときに、実はさしたる罪悪感をもたないのは、それかごく常識的な「アンパン」の(欠片の)形象をなしており、さらに上述のように一回食べても再生産されるものであるからだ。それゆえ、アンパンマンの顔がちぎれても、そしてそれがすぱーっと飛んでいっても、そのこと自身には安心感すらある。(イ)アンパンマンは個別的な存在でありながら、そうであるとはいい切れない。これについて、どう考えるべきなのか。
もちろん、そうである以上、アンパンマンを食べることはカニバリズムではない、という結論をだすことも可能だろう。再生されるということは、ちぎればまた生えてくる家庭菜園の野菜に近いともいえる。だが、それでもこれは人間のかたちをしたキャラクターである。どう考えるべきか。
別の視点でとらえれば、肉を食べること、カニバリズムであることを論じながらも、実際には.われわれは、われわれ自身の身体をあまりよくみていないのかもしれない。
人間の個別性は、実は顔という器官をのぞけば、さしたる違いはない。自分の内臓のレントゲン写真をみせられても、それが自分のものか他人のものかがの内臓の、わかるひとなどはほとんどいない。顔という特殊な器官をのけば、実は身体は、人間同士であれ、また四肢動物同士であれ、実際には似たり寄ったりである。
さらに、もっと荒唐無稽なことをのべることもできる。顔とは人格性の中心であるので、さすがにアンパンマンの世界でしか、これを再生産することはできない。しかしながら肉ということであればどうであろうか。現代のさまざまな場面で、身体へのテクノロジーが増していくなか、近い将来人間は人間の肉を不用なものとして切り捨て、あるいは必要であれば再生できるかもしれない。現代におけるアンパンマン の類似物をつくることは、不可能なテクノロジーではないかもしれないのである。アンパンマンの教えは実はこちらにあるとも考えられる。
問題について
上述しましたが、問題は以下のとおりです。これは実際の神戸大学で出題された入試問題です。
問 傍線部(ア)「さらに業の深さを感じさせる」とあるが、どういうことか。八〇字以内で説明しなさい。
問 傍線部(イ)「アンパンマンは個別的な存在でありながら、そうであるとはいい切れない」とあるが、どういうことか。八○字以内で説明しなさい。
説明問題の解き方(本問題の解答及び解説)
「〜を説明せよ」という問題については、4つの作業が必要となってきます。
勿論、絶対に通用するルールではありませんが、かなり使えるやり方なので意識して問題を解くといいでしょう。
- 問題文を分析する
- 説明をするための根拠となる文章を引っ張ってくる
- キーワードを集める
- キーワードを元に自分の言葉で要約または説明を行う
それでは、具体的に見て行きましょう。
問 傍線部(ア)の問題について
「さらに業の深さを感じさせる」とあるが、どういうことか。八〇字以内で説明しなさい、という問題について分析をします。
まず、「さらに業の深さを感じさせる」とありますが、気になるのは「さらに」と「業の深さ」と「感じさせる」という文言です。
根拠部分の引用
では、根拠となる部分を引っ張ってきましょう。
「さらに」という接続詞は添加、つまり付け加えの意味です。とするなら接続詞「さらに」の前には業の深い内容がありそれを超える内容を説明しなければならない、ということになります。
では、接続詞「さらに」の前の「業の深い内容」とはなにかというと
これは自分の肉を食べさせる、他人の肉を食べるというカニバリズムよりも、
とあります。
つまり、人肉(自分・他人問わず)を食べる(青字)ことが「業が深い」内容で、それをこえる内容が「これ〜よりも」とあるので「これ」の指す内容が「さらに業の深い」と感じさせる内容なのだとわかります。
そこで、「これ」のさす内容を見ると
その人格性=パーソナリティを決定する器官である「顔」がそもそも食べ物であり、さらにそれを惜しげもなくちぎって相手に与えること
とあります。
つまり「さらに業の深い」という内容はパーソナリティを決定する器官である顔を食べること、ということになります。
そして、「業の深い」と「感じさせる」というのはなぜか、つまり、顔を食べることが業の深いとなる理由を見つけなければなりません。
すると、頑張って読んでいくと
顔を食べろというのは、たんなるカニバルなものではなく、相当な抵抗感をひきおこすものである。ところがアンパンマンは、顔こそを食べさせるのである。食べてはいけないものの最たる部分が食べ物であるという矛盾が、この絵本のもっとも重要で衝撃的な点ではないのだろうか。
とあります。
つまり、食べてはいけないものの最たる部分を食べるので衝撃的、抵抗感を引き起こす、というのが業の深さを感じさせる部分の説明と言えそうです。
キーワードの選定と解答の書き方
それでは、説明文の解答作成に移っていきましょう。
今回の説明問題では「さらに」「業の深さ」「感じる」という部分を分析しました。これに基づいて各々キーワード及び解答を作成していきます。
まず「さらに(①とする)」の部分では「人肉を食べること」や「カニバリズム」よりもという話なので、比較対象である「人肉」「カニバリズム」というワードは入れる必要があります。
次に「業の深さ(②とする)」の内容は、人格を決定する「顔」を食べることなので、「人格」「顔を食べる」というワードを使う必要があります。
最後に「感じる(③とする)」という業の深さを感じる根拠、なぜ業が深いかを説明するのですが、それは、最も食べてはいけないことを感じる「衝撃」「抵抗感」などのワードを使用するといいでしょう。
そこで、一例として
「①人間の肉である人肉を食べるカニバリズムと比べて、②アンパンマンは個人の人格を決定する「顔」を食べさせるという点で、③衝撃的であり人に抵抗感を与えるということ。(77字)」
という解答を作成しました。説明問題で受験生がしがちなのが3つのテーマのうち、①や③を解答しない場合がよくあります。
「さらに」という添加の接続詞がわざわざ問題文に含まれている理由はそれについても説明してという意図なので、作成者の意図を汲み取っていきましょう。
かならず、問題文を分析して、それに対応した内容をそれぞれに説明していく必要があります。なお、問題文が「どういうことか」と聞いているので、当然ですが「〜ということ」で最後は終わらなければなりません。
問 傍線部(イ)問題について
問 傍線部(イ)「アンパンマンは個別的な存在でありながら、そうであるとはいい切れない」とあるが、どういうことか。八○字以内で説明しなさい、という問題について分析してきます。
設問としては「アンパンマンは個別的な存在でありながら、そうであるとはいい切れない」とあり、「アンパンパンが個別的な存在である」ということと「アンパンマンが個別的な存在であるといいきれない」という一見すると矛盾する内容について説明をしなければなりません。
根拠となる文を引用
そこで、まず「アンパンマンが個別的な存在である」という部分についてそれを説明している箇所を探します。
すると、直接的にかかれている文章はありませんが、頑張って後ろを読むと「個別性」というキーワードで、
人間の個別性は、実は顔という器官をのぞけば、さしたる違いはない。自分の内臓のレントゲン写真をみせられても、それが自分のものか他人のものかがの内臓の、わかるひとなどはほとんどいない。顔という特殊な器官をのけば、実は身体は、人間同士であれ、また四肢動物同士であれ、実際には似たり寄ったりである。
という部分が人間の「個別性」についてのべています。
つまり、「顔」という器官が個別性を明示する要因であるとわかります。
とするなら、「アンパンマン」も「顔」が存在する以上、人間と同様「個別性」を有しているというのがわかります。
そしてアンパンマンの顔について「個別性があるとはいいきれない」というのはどういうことか、文章を引っ張ってくると、
顔とは人格性の中心であるので、さすがにアンパンマンの世界でしか、これを再生産することはできない。
や
アンパンマン の顔を食べるときに、実はさしたる罪悪感をもたないのは、それかごく常識的な「アンパン」の(欠片の)形象をなしており、さらに上述のように一回食べても再生産されるものであるからだ。それゆえ、アンパンマンの顔がちぎれても、そしてそれがすぱーっと飛んでいっても、そのこと自身には安心感すらある。
とあり、アンパンマンの顔が変化することで人格が「再生産」されているとあります。
キーワードの選定と解答の書き方
まず、「アンパンマンの個別性」については、個別性とは人格であり、それが顔に現れているということですので、キーワードとして「顔」や「人格」という言葉を使うといいでしょう。
また、「そうであるとはいい切れない」とは、「顔が取り替えられ」たり、「再生産」をしている部分を書くといいでしょう。
そこで、解答の一例として
「①アンパンマンの顔があることで人格が認められる一方、②アンパンマンの顔は取り替え可能で複製されることからアンパンマンの人格が再生産され唯一の人格でないということ。(78字)」
①から「個別性について」②から「そうとはいいきれない」という点についての説明です。キーワードを盛り込んでいるかから判断すると良いでしょう。
まとめ
以上、現代文の説明問題について解説しました。
過去問を解くときにはあくまで、その学校のその問題を解くという意識ではなく、他の類似の形式に対しどのようにたいおうしていくのかを考えていく必要があります。
今回題材にしたにした神戸大学については「神戸大の国語15カ年 (難関校過去問シリーズ) 」があります。比較的現代文では良問が揃っているので、神戸大学を受験しない人も一度解いてみるのをおすすめします。
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