みなさんこんにちは。
今日は、解答速報ということで2022年2月1日の関西学院大学の世界史Bの問題を完全解説したいと思います。
合計40問でそこそこ難易度が高い試験です。意外と東南アジアの問題が難しいので厳しいという人もいたかもしれませんね。
まずは、解答速報の表を出しておきます。なお、筆者が個人的に解答したものですので間違っている可能性もありますのであくまでも参考程度に留めておいてください。
イ | ロ | ① | ② | ③ | ④ | ⑤ | ⑥ | |
第1問 | d | b | d | b | b | c | a | d |
第2問 | b | c | a | c | d | d | d | a |
第3問 | b | c | b | a | d | a | d | d |
第4問 | c | a | c | c | b | b | d | d |
第5問 | b | c | b | c | d | d | b | a |
第一問
次の文中の( )に最も通当な語を語群から選び、また下線部に関する問いに答え、 最も適当な記号1つをマークしなさい。
プロアスター教は、 数千年前の中央アジアに生きたと考えられているゾロアスターを開相とする宗教である。 書悪二元論にもとづく世界観をもつゾロアスター教は、 中央アジアからイラン高原で広く信奉された。 古代オリエント世界に大帝国を築いたアケメネス朝のダレイオス1世も( イ )への信仰を碑文に表明している。(筆者中略)アケメネス朝の滅亡とともにベルセポリスは廃墟となった。 ゾロアスター教も壊滅的な打撃を受けたが、 徐々に復興し、 あらたに統一王朝を築いたササン朝時代には国教的な地位を確立し( ロ )が編基された
[語 群]
イa.アトン b. アーリマン c.ブラフマン dアフラ=マズダ
ロ a.『リグ=ヴェーダ』b『アヴェスター』c『ラーマーヤナ』d.『マハーバーラタ』
イ.dが正解。べヒストゥン碑文にアフラ=マズダより王位が正当に授けられた旨が記載されている。
ロbが正解。アケメネス朝時代にも編纂されていたが、アレクサンドロス大王がペルシャを滅ぼした際に散逸したが、後にササン朝時代に再び作られた。
小問
①アケメネス朝に関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- ベルシア人が建てた王朝である。
- キュロス2世のときにメディアから独立した。
- バビロンに強制移住させられていたユダヤ人を解放した。
- d.政治の中心地はクテシフォンであった。
②ダレイオス1世に関する記述として、 誤り合むものはどれか
- 領土を約20の州に分け、 各州にサトラップと呼ばれる知事を任命した。
- エジプトを征服した。
- 要地を結ぶ「王の道」 をつくり、 交通網を整備した。
- 全貨・銀貨を発行した。
③エジプトに関する記述として、誤りを含むものはどれか。
- 上エジプトが下エジプトを併合して、 エジプトを統一した。
- 太陰暦が考案され、 ユリウス暦に受け継がれた
- 碑文などの表記にヒエログリフが採用された
- ファラオが君臨する神権政治が行われた。
④中王国に関する記述として、 誤りなむものはどれか。
- ナイル川中流域のテーベを都とした。
- 紅海沿岸に進出した。
- クフ王がビラミッドを建設したとされる。
- 末期にヒクソスの侵入を受けた。
⑤ヒッタイトに関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- 北メソボタミアに建国した。
- 鉄製の武器を用いた。
- パビロン第1王朝を滅ぼした。
- シリアでラメス2世と戦った。
⑥アッシリアに関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- 主に小アジアとの中継交易によって繁栄した。
- 一時期、ミタンニに服属した。
- オリエント全土の諸民族を服属させた。
- サルデスに都を移した。
解答及び解説
第2問
ヨーロッパは14世紀に大きな危機を迎えたと言われる。14世紀のはじめからヨーロッパバの多くの地城が天候不順にともなう航織に見舞われた。 同世紀の半ばからは、黒死病 (ベスト)と呼ばれる疫病が襲来し、人口減少や、 都市経済の停滞を招いた。封建社会は動揺をきたし、。イギリスやフランスなどでは農民一揆が続発した。 (イ)は「アダムが耕し、イヴが紡いだとき、誰が貴族であったか」と説教し、 社会的平等を唱えた。 (筆者中略)他方、 東欧やビザンツ帝国との貿易で発展しつつあった北欧では、ハンザ同盟と対抗するために(ロ) 同盟が世紀末に結成され、同君連合による政治秩序が形成された。
[画 群]
イ a. ワット=タイラー b.ジョン=ボール c.ウィクリフ d. フス
ロ a. シュマルカルデン b.ライン c.カルマル d.ロンバルディア
ロ.c.カルマル同盟は、1397年にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間で締結された同盟。
小問
①黒死病に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
- ベトラルカは「デカメロン」 で黒死病の流行する世相を叙述した。
- ヨーロッパの人口の3分の1が失われたとされる。
- 黒海沿岸部との交易を通して、イタリアに入ったとされる。
- ホルバインの「死の舞路」は、 黒死病の流行を題材財に用いた木版画である。
②中世のヨーロッパの都市に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
- 手工業の親方はツンフトと呼ばれる同職ギルドを組織した。
- ドイツでは皇帝に直属する自由都市が登場した。
- 北ヨーロッバ商業圏の都市は主に香辛料の取引で栄えた。
- アウクスブルクは銀や銅の取引によって発展した。
③イギリスの議会制度に関する記述として、 誤りを合むものはどれか。
- マグナ=カルタ (大憲章) によって議会の開設が認められた。
- シモン=ド=モンフォールは聖職者や貴族、 州や都市の代表による議会を招集した。
- エドワード1世はいわゆる模範議会を招集した
- 14世紀後半までには議会は貴族院と庶民院の二院制となった。
④教皇に関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- ボニファティウス8世がフィリップ4世によって捕らえられた
- 教皇庁がローマから南フランスのアヴィニョンに移された
- 14世紀後半から約40年にわたって複数の教皇が並存した
- 型書の尊重を唱えて教会を批判したイングランドのノックスを破門した
⑤百年戦争に関する記述として、 誤りをむものはどれか
- エドワード3世がフランスの王位継承権を主張したことで始まった
- エドワード黒太子率いるイギリス軍が、 フランス南西部で戦った
- ジャンヌ=ダルクはオルレアンの包囲を破った
- この戦争に敗れたイギリスは、 フランスに有した全ての領土を失った
⑥神型ローマ皇帝に関する記述として、 誤りを含むものはどれか
- 皇帝のイタリア政策を支持する皇帝党は、 ボローニャやミラノを拠点とした
- カール4世は金印動書を発布し、 皇帝選出の制度を定めた
- フランソワ1世は、 神型ローマ帝国皇帝選挙でカルロス1世に敗れた。
- シュタウフェン朝の新絶後に 「大空位時代」 が生じた
第3問
16世紀後半にヴァロワ朝が断絶すると、 フランス国内の。宗教対立を調停したアンリ4世はブルボン朝を開いた。(筆者中略)1643年にわずか5歳でフランス国王に即位したルイ14世を補佐したのは宰相(イ)である。 (筆者中略)財政離を打開しようと、ルイ16世の治世には(ロ)らによる財政改革が試みられたものの、 いずれも既得権益を守ろうとする人びとの抵抗を受けて失敗に終わった。 こうしてフランスは、革命への扉を開けることになるが、そこでは王政それ自体が否定されることになる。
[語
イ a. エペール b.マザラン c. デュプレクス d. テュルゴー
ロ a. パブーフ b. プリッソ c.ネッケル d. シェイエス
ロcが正解。ネッケルは元銀行家。
小問
①フランスの宗教対立に関する記述として、 誤りを含りものはどれか。
- フランスでは、カルヴァン派のユグノーとカトリック教徒が対立した。
- のちのアンリ4世の結婚の祝質に集った新教徒が、多数の旧教徒を虐殺した。
- 摂政カトリース=ド=メディシスが、 サンバルテルミの虐殺を主導したとされる。
- ナントの王令によって、 条件付きで新教徒の信仰の自由が認められた。
②ルイ14世に関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- リシュリューを登用して王立マニュファクチュアを創設した。
- 東インド会社を再建し、イギリスに対抗した。
- 王権の絶対性の根拠を神にもとめる王権神授説を唱えた。
- 「咲は国家なり」 と述べたとされ、「太陽王」 と呼ばれた。
③ルイ14世の対外政策に関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- 北アメリカにルイジアナ植民地を獲得した。
- オランダやイギリスとの間で、 南ネーデルラント継承戦争を起こした。
- スペインのハブスプルク家の断絶後、 ルイ14世の孫フェリベ5世が王位を継承した
- ラシュタット条約により、 スペインの王女を王起として迎えた。
④近世ヨーロッパの文化に関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- ワトーの「シテール島への巡札」は、 豪社華麗なパロック絵絵画である。
- ヴェルサイユ宮殿の 「鏡の間」 は、 パロック様式の代表的な建築である。
- 「ル=シッド」 で知られるコルネイユは、 フランス古典主義の代表的恋制作家である
- 「ラス=メニーナス」 で知られるベラスケスは、 宮廷画家として活躍した
⑤アメリカ独立戦争に関する記述として、誤りを食むものはどれか。
- 13植民地の代表はフィラデルフィアで独立宣言を発表した
- 植民地側の絵司令官にワシントンが任命された
- レキシントンとコンコードで武力衝突が生じた
- フランスの社会主義思想家フーリエが義勇兵として参戦した。
⑥フランス革命に関する記述として、 誤りを含なものはどれか。
- 国王は、 憲法制定国民議会を武力で鎮圧しようとした
- 人権宣言の起草者であるラファイエットは、 立憲君主政の確立をめざした
- 1791年憲法制定直前にヴァレンヌ逃亡事件が起こり、 国民の国王への信用が失墜した。
- 男子普通選挙で成立した国民公会では、 共和政をめざすフイヤン派が多数を占めた
bが正解。旧教徒が新教徒を虐殺した(サンバルテルミの虐殺)。ユグノー戦争中、アンリ4世は新教徒で、結婚する王女マルグリットは旧教徒で、旧教徒と新教徒の2人が結婚すれば国内が安定させることができると策を練ったが、結局、関係は悪化。結果、新教徒3000人がサンバルテルミの虐殺で殺された。
第4問
19世紀以降、欧米の列強はアフリカに加えアジアやオセアニア諸地域の植民地化を進めた。 イギリスは海峡植民地を拠点として、 マレー半島を支配下におさめ、本国における第2次産業革命の進展とともに鉄鉱石やゴムの供給地とした。 ビルマ (ミャンマー) では3度のビルマ戦争で(イ)朝を破り、この地をイギリス領インド帝国に併合した。 フランスは2度のサイゴン条約で、ベトナムの( ロ )からコーチシナを獲得し、 ついでユエ (フエ) 条約でベトナム全域を保護国化し、 前後して保護国化した カンボジアやラオスとあわせてフランス領インドシナ連邦を形成した。(筆者以下略)
[語 群]
イa. スコータイ b. パガン c.コンバウン d. タウングー
ロ a. 阮朝 b. 黎朝 c.李朝 d.陳朝
小問
①マレー半島に関する記述として、 誤りを合むものはどれか。
- 南部はシュリーヴィジャヤ王国の版図に含まれた。
- マラッカ王国が郵和の南海遠征の拠点となった
- 第二次世界大戦中、 マレー人を中心とする抗日救国運動が起こった。
- マレー半島のイギリス植民地はマラヤ連邦として独立した。
②マレー島におけるゴム生産に関する記述として、 誤りをすむものはどれか。
- ゴムの需要は自動車産業の発達によって高まった。
- プランテーションはロンドンで調達される資本によって開発された。
- ブランテーションにはアフリカ原産のゴムが移植された。
- プランテーションでは主にインドからの移民が労働を担った。
③フランス領イドンナのビルマ(ミャンマー) に関する記述として、 誤りを合むものはどれか。
- アウン=サンが、 反ファシスト人民自由連盟を結成して抗日運動を指導した。
- 第二次世界大戦後、立憲王国としてイギリスから独立した。
- クーデタによって、 ネ=ウィンの軍事政権が成立した。
- アウンサンスーチーが軍事政権に対する民主化運動を指導した。
④べトナムに関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- ファン=ボイ=チャウらの組織した維新会は、 日本へ留学生を送るドンズー運動をすすめた。
- ファン=チュー=チンは中国でベトナム光復会を組織した。
- ホー=チ=ミンは香港でベトナム共産党を組織した
- インドシナ戦争終結後、 アメリカ合衆国の支援で南部にベトナム共和国が成立した
⑤カンボジアに関する記述として、 誤りを合むものはどれか。
- スールヤヴァルマン2世がヒンドゥー寺院としてアンコール=ワットを造営した。
- ジュネーヴ会議によってフランスからの独立が国際的に承認された。
- ポル=ポト派政権のもとで大量殺数が行われた
- 東南アジア諸国連合の結成時の加盟国である。
⑥タイに関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- イギリスと結んだパウリング条約は、 日米修好通商条約などの不平等条約のモデルとなった。
- ラーマ5世のチャクリ改革によって諸侯が廃され県が置かれた。
- 第二次世界大戦での対米英宣戦布告を無効化して、 敗戦国となることを免れた。
- アジア通貨危機による経済停藩のため、 タクシン政権が崩壊した。
第5問
(最初省略)中原の安定をうけて、 西方では西域との交通も回復し、教煙の地にはソグド人の姿も認められる。呉は江南の土地開発を進め、続く東晋・南朝の繁栄の基礎を築いた。 また南方では交州を拠点に(イ)など東南アジア諸国とも使節を交換し、結びつきを深めた。 三国中最小のは諸葛亮の没後は国力が振るわなかったが、 劉氏の建てた王朝として演の正統な後継国家を自任し、 南宋の(ロ)が著した「資治通鑑綱目」 などでも正統王朝として扱われた。
イ a. 真職 b.扶南 c. シャイレンドラ朝 d. マタラム朝
ロ a. 司馬光 b. 周教願 c.朱熹 d. 欧陽情
ロc.資治通鑑綱目は南宋の朱熹の著。59巻。
小問
①黄巾の乱に関する記述として、誤りを含めものはどれか。
- 変乱の年とされる甲子の年に起こった。
- 太平道の指導者の張陵が起こした。
- 漢にかわる王朝の象徴として、 黄色の布を標識にした。
- 反乱軍の信仰は、 道教の源流のひとつとなった。
②魏の行った制度でないものはどれか。
- 屯田制
- 九品中正
- 占田 課田法
- 戸調
③朝鮮半島と中国との関係に関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- 中国から半島に亡命した衛満が、 衛氏朝鮮を建てた。
- 前漢の武帝は衛氏朝鮮を滅ぼし4郡を置いた。
- 紀元前1世紀頃には、 中国王朝の半島支配の拠点は楽浪郡のみとなった。
- 公孫氏は楽浪郡北部に帯方郡を分置した。
④高句麗に関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- 一時期、丸都を都とした。
- 百済·倭との戦争が広開土王碑に記された。
- 舞踊塚の内壁に狩猟図を描いた。
- 隋の文帝による3度の遠征を受けた。
⑤敦煌に関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- 漢の武帝の時代に郡が置かれた。
- 中央アジアから上座部仏数が伝わる窓口となった。
- 五胡十六国時代から石窟寺院が築かれた。
- 多くの古文書がここから発見された。
⑥五胡十六国時代に関する記述として、 誤りを含むものはどれか。
- 五胡十六国時代は匈奴による漢の建国に始まる。
- 亀茲出身の鳩摩羅什が仏典を漢訳した。
- 五胡のひとつの鮮卑は北魏を建てた。
- 五胡十六国時代は北魏の孝文帝の華北統一によって終わった。
まとめ
いかがだったでしょうか。
入試がまだある人は、ぜひ参考にして今後の問題にも乗り切ってください。
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