こんにちは。今回は近代以降の欧米自然科学史です。
17世紀から19世紀にかけて、欧米諸国は目覚ましい発展を遂げます。その原動力の一つとなったのが自然科学の発達でした。
科学技術の発達は産業の発展を促します。世界各地を制覇した欧米人たちは、ほとんど人が訪れたことがない極地への探検を行い、人類の知見を高めました。しっかりと覚えていきましょう。
今回の記事のポイント・自然科学の分野は単品での出題が多いので、表を使って人名と特記事項を連結
・覚える内容は17・18世紀の方が少ないので、先にそちらを覚えたほうが楽
・19世紀の自然科学の発見内容は数が多いので、受験直前に集中して暗記したほうが良い
・極地探検で最初に覚えるのはリヴィングストンとスタンリー
17・18世紀の自然科学
(ニュートン:wikiより)
ルネサンスの時代、天動説を発表したガリレイらは教会によって厳しい審問を受けました。17世紀に入ると、宗教改革などにより教会の力が低下。理性や経験を重視する合理的な科学精神が発達しました。
ドイツのケプラーは、惑星運航の法則を確立し地動説を数学的に証明しました。ほかにも、ホイヘンスが土星の輪を発見、ラプラースが宇宙進化論をとなえるなど天文学の分野の研究が進みました。
医学・生物学の世界では、ハーヴェーの血液循環やリンネの植物分類学、ジェンナーの種痘法などの成果が生まれます。
数学・物理学・化学の分野では、気体の膨張に関するボイルの法則やニュートンによる万有引力の法則の発見、ラヴォワジェの質量保存の法則などが見出されました。
19世紀の自然科学
(ライト兄弟の飛行機:wikiより)
19世紀に入ると、自然科学は今まで以上に目覚ましい発展を遂げます。物理学の分野ではファラデーやマイヤー、ヘルムホルツなどが新たな法則を発見しました。
放射線に関する研究も進められ、キュリー夫妻によるラジウムの発見やレントゲンによるX線の発見など、今日でも使われる重要な発見が相次ぎます。
生物学の分野ではメンデルの遺伝の法則の発見はとても重要です。さらに、ダーウィンはガラパゴス諸島の研究などから進化論に到達しました。
医学の分野では人々を苦しめてきた感染症の原因となる細菌が特定できるようになりました。コッホが細菌学の基礎を確立したのもこのころです。
伝染病の予防や治療に貢献したのは狂犬病の予防接種に成功したパストゥールですね。北里柴三郎のペスト菌発見や志賀潔の赤痢菌発見など、日本人も自然科学の分野で活躍するようになりました。
発達した科学技術は実用面においても応用されます。モールスの電信機の発明やベルの電話機の発明、マルコーニの無線電信の実験成功などにより、遠隔地との連絡が容易になったことで世界中とすぐに連絡が取りあえるようになりました。
ライト兄弟による飛行機の発明やダイムラーによる自動車の発明、フォードによる自動車の大量生産、エディソンによる白熱電灯の発明などは人々の暮らしを根本から変えるものとなります。
極地探検
(犬ぞり隊:wikiより)
交通手段や科学技術の発展は、これまで到達できなかった絶海の孤島や北極・南極といった極地への探検を可能としました。
17世紀から18世紀にかけて、オランダやイギリスの航海者たちは太平洋周辺知己を探査します。これにより、オセアニアやオーストラリアでの探検が進みました。
19世紀に入ると、アフリカの内陸部への探検が盛んになります。ナイル川の源流を求めたリヴィングストンや遭難したリヴィングストンを救出後に、今後を探検したスタンリーがアフリカ探検の代表格といえるでしょう。
中央アジア探検の第一人者は何といってもヘディンでしょう。ヘディンは失われた古代都市楼蘭を発見しました。著書「さまよえる湖」に詳しく書いてありますが、その記録は実に生き生きとしておもしろいです。
19世紀後半、欧米諸国では極地探検競争が行われていました。北極点に最初に到達したのはアメリカのピアリーです。
残す極地は、前人未到の地である南極大陸。南極点に向けての探検競争が始まりました。この競争を制したのはノルウェーのアムンゼン。惜しくも、アムンゼンに敗れたのがイギリスのスコットでした。
まとめ
17世紀から19世紀にかけて、欧米諸国の科学技術は日進月歩の勢いで発展します。その背景には産業革命の成功や広大な植民地の獲得による欧米への富の蓄積がありました。
19世紀の科学技術は覚えるべき事項が多く、満点を取るうえで難関となるでしょう。できる限り、天文学や物理学、生物学といったカテゴリーでとらえつつ、効率よく暗記しましょう。
極地探検では、出題頻度が高いのはリヴィングストンとスタンリー。彼らは欧米によるアフリカ大陸の植民地化と関連して出題しやすいからでしょう。
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