孫文と第一次国共合作及び蒋介石と第二次国共合作【世界史B】(受験に役立つ中国史)

中国の歴史【近現代】
こんにちは。今回の世界史Bで第一次世界大戦後の中国の話です。第一次世界大戦後、中国各地は軍閥によって支配されました。
そこで、孫文は共産党と連携して第一次国共合作を行い中国統一を図ります。しかし、孫文死後、国民党を受け継いだ蒋介石は北伐を実施し、上海クーデタで共産党と袂を分かち第一次国共合作を解消し、北伐を完成させ中国を統一しました。
しかし、蒋介石は共産党との戦いを続行。業を煮やした張学良が西安事件で蒋介石を軟禁し、国共合作を復活させ、第二次国共合作を成立させます。

前回の清の崩壊から中華民国成立時期について記載しました。「義和団事件から辛亥革命と21か条の要求について」をご一読ください。

今回の記事のポイント・孫文は第一次国共合作を成立させたが、孫文の死後、蒋介石は上海クーデタで国共合作を放棄します。

・蒋介石は北伐を完成し中国を統一していきます。

・日本は満州事変を起こし中国東北地方にあたる満州を占拠し満州国を建国します。

・張学良は西安事件を起こし蒋介石に共産党との第二次国共合作を認めさせました。

・盧溝橋事件により日中戦争が開始。国民党と共産党は抗日民族統一戦線を結成します。

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孫文と第一次国共合作及びその崩壊

(孫文と蒋介石:wikiより)

袁世凱の死後、中国各地は軍閥が支配しました。欧米に支持された直隷派の馮国璋、日本が支持した安徽派の段祺瑞、同じく日本が支持した奉天軍閥の張作霖が代表的軍閥です。

孫文は中華革命党を改組して中国国民党を結成します。そこで、1921年に北京大学文科長の陳独秀が結成した中国共産党と連携しようと考えます。そこで孫文は「連ソ・容共・扶助工農」を掲げました。これにより、1924年、第一次国共合作が成立します。

 

S先生
S先生

ちなみに、中国共産党成立当時はメンバーはわずか12名しかおらず、毛沢東も北京大学の司書にすぎずぺーぺーだったそうよ。

しかし、1925年、孫文は「革命いまだならず」の言葉とともに志を果たせぬままこの世を去ります。辛亥革命に始まる中国革命はまだまだ途上にありました。孫文の死後、国民党のトップになったのは国民革命軍司令官の蒋介石です。

 

蒋介石は孫文の遺志を継ぐとして広東省から北京に向けて北伐を開始します。その途上、蒋介石は浙江財閥と提携しつつ上海クーデタをおこし共産党を追放しました。これにより第一次国共合作は崩壊します。国民党と共産党は敵対関係(国共分裂)となります。

蒋介石による北伐完成と国民党・共産党の対立

(北伐中の蒋介石:wikiより)

共産党を追放した蒋介石は南京国民政府を樹立します。態勢を整えたうえで、再び北伐を開始しました。これに対し、山東省に利権を持っていた日本は蒋介石の北伐を妨害する山東出兵を実施します。しかし、蒋介石の北伐を完全に妨げることはできませんでした。

 

1928年、北京を支配していた奉天軍閥の張作霖は蒋介石の北伐軍に敗北します。北京を明け渡し本拠地の奉天に向かいました。張作霖奉天への帰路に列車を爆破され殺害されます。張作霖の死後、奉天軍閥は息子の張学良が引き継ぎます。

1928年6月、蒋介石軍は北京に入城します。張学良は父の暗殺に日本の関東軍が関与していたことを把握していたので、蒋介石に帰順することを表明します。国民党による中国統一は果たされ、北伐は完成しました。

 

1931年、関東軍は奉天郊外の柳条湖で関東軍が管理する南満州鉄道が爆破されたとして満州各地を占領します。いわゆる満州事変が起きます。1932年には清の宣統帝だった愛新覚羅溥儀を執政とする満州国の建国を宣言しました。

 

国民党と敵対していた共産党では毛沢東が権力を掌握。江西省の瑞金中華ソヴィエト共和国臨時政府を樹立し国民党と対峙します。

 

蒋介石は毛沢東軍を徹底的に攻撃します。毛沢東は瑞金を放棄して陝西省の延安に向かいました。この長距離移動のことを長征といいます。日本が満州を占領し、満州国を樹立しても蒋介石は共産党との戦いを止めようとしませんでした。

第二次国共合作と日本との戦争

(第二次国共合作:wikiより)

国民党の一因となっていた張学良は部隊を率いて西安付近で共産党軍と戦っていました。張学良は日本が彼の勢力基盤だった満州を占領しているのに共産党と戦っていて抗日に向け行動を起こさない蒋介石にいら立ちを募らせます。

 

1936年12月、張学良軍を督戦するため蒋介石が西安を訪れました。この時、張学良は意外な行動にでま。蒋介石を軟禁したのです。共産党との戦闘を停止することを迫りました。これが西安事です。蒋介石は止む無く停戦に同意します。ちなみに当時の主要都市は以下のとおりです。

1937年7月、北京郊外盧溝橋で日中両軍が衝突します。いわゆる盧溝橋事件です。これで、日中戦争がはじまりました。国民党と共産党は第二次国共合作に同意し、抗日民族統一戦線を結成します。

(現在の盧溝橋:wikiより)

装備に勝る日本軍は首都の南京や武漢、上海など中国の主要都市を次々と占領しました。しかし、蒋介石は日本に降伏せず、内陸部の重慶に撤退します。日本に対して徹底抗戦の構えを取りました。

 

イギリスやアメリカは蒋介石を支持します。ベトナム北部やミャンマーから蒋介石支援のための物資を運びます。このルートを援蒋ルートといいました。日中両軍とも決め手を欠く展開となり、日中戦争は膠着状態に陥ります。

まとめ

辛亥革命後、各地を支配していた軍閥を打倒し、中国を統一するため孫文は国共合作をおこないます。孫文死後、蒋介石は北伐を行いつつ上海クーデタをおこして共産党を排除しました。

 

満州の張学良は蒋介石に帰順し、北伐は完成します。日本が満州事変を起こしても蒋介石は日本と戦わず、共産党との戦闘に没頭。業を煮やした張学良は蒋介石を軟禁する西安事件を起こして蒋介石に共産党との妥協を迫りました。

 

その結果、国民党と共産党は第二次国共合作を行うことに同意。抗日民族統一戦線を結成して日本に対抗しました。1937年におきた日中戦争では蒋介石は日本に降伏せず、戦争は長期化します。

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