こんにちは。今回から受験生に役立つ日本史シリーズをはじめます。第二回は縄文時代についてです。旧石器時代が終わり、世界が温暖化してくるとあらたな文化が日本に生まれました。それが、縄文文化です。
縄文文化は旧石器時代と何が違うのでしょうか。縄文時代について、習俗など、土器や食べ物、道具、住居、交易、髪型などの風俗を紹介しつつ、縄文時代の歴史についてまとめます。
- 旧石器時代に比べ、縄文時代は温暖・湿潤な時代
- 木の実の採集や、中・小形動物を弓矢で狩る狩猟で生活
- 縄文時代には、縄文土器や磨製石器、骨角器、土偶などがつくられた
- 縄文時代の住居は竪穴住居
- 交易で扱われた品物は黒曜石やサヌカイト、ひすい
- 代表的遺跡は三内丸山遺跡。菜畑・板付は水田遺構ありなので要注意
縄文時代の環境について
(ケヤキ:wikiより)
今からおよそ1万1000年前。縄文時代が始まりました。研究者によって幅がありますが、だいたい、1万年近く、縄文時代は続きます。
縄文時代は旧石器時代に比べて温暖で湿潤な気候でした。海面が上昇することで、海水が内陸に入り込む入江が増えます(縄文海進)。地球軌道の変化による日射量の増大により地球温暖化が進み氷が溶け、世界的に海水面が上昇しました。
(縄文海進)
気候が温暖になると、木の実をつける広葉樹や照葉樹が日本各地に広がりました。縄文人たちにとってこれらの木の実は重要な食糧源となります。
環境が変わると、住む動物も変わりました。旧石器時代に見られたナウマンゾウやマンモスなどの大型動物は姿を消し、かわりにシカやイノシシ、鳥類が多くなります。
縄文文化〜縄文土器の特徴と石器、習俗について
(火焔土器:wikiより)
旧石器時代と縄文時代の最大の違いは、土器があるかないかです。縄文時代、低温で焼かれた厚手・黒褐色で、縄目の文様がつけられた縄文土器が作られます。
もっとも有名な縄文土器は縄文時代中期に登場する「火焔土器」。炎をかたどった手の込んだ装飾がされている土器ですね。
縄文人たちは土器を使い、狩猟や採集で得た食べ物を煮炊きしていました。この時代、貧富の差は少なく、皆で獲得した食べ物を平等に分配していたと考えられます。
縄文時代には研磨するなど加工を施した磨製石器が使われるようになりました。石器が進歩することで、より細かな作業が可能になります。
(磨製石器:wikiより)
縄文時代に発達した道具は弓矢でした。シカやイノシシを狩るときに投げ槍よりも有利だったからです。獲物の骨は魚をとる釣り針などに加工されました(骨角器)。
(骨角器)
縄文時代の人々は竪穴住居に暮らしました。旧石器時代のような移動生活から、定住生活に変わったのも縄文時代だと考えられます。青森県の三内丸山遺跡が代表ですね。
(縄文時代の遺跡:)
現代の私たちが、縄文時代の人々の生活を知ることができるのは貝塚のおかげ。貝塚には縄文人たちが食べた貝殻や古くなった道具などが捨てられています。また、人骨なども貝塚から出土しますね。
交易や髪型・土偶・埋葬などの縄文時代の風俗
(遮光器土偶:wikiより)
縄文時代は、日本各地で盛んに交易がおこなわれた時代でした。このころ、価値があるものとして取引されたのは石材です。黒曜石やサヌカイト、ひすいが取引されました。
黒曜石は衝撃を加えると簡単に割ることができます。切り口が鋭いためナイフ形石器など、切り裂くための道具をつくる材料として重宝されたようです。サヌカイトも同じだと考えてよいでしょう。
(黒曜石:wikiより)
ひすい(硬玉)は縄文人たちが愛した宝石です。半透明の緑色の石で、装身具などに使われました。
(翡翠:wikiより)
縄文人たちの髪型は、糸を使って頭の上に髪をまとめる結髪が多かったようです。どうして、彼らの髪型がわかるかといえば、土偶の髪型から判断されるからです。
土偶とは、縄文時代の遺跡から出土する素焼きの土人形のこと。女性をかたどったものが多いのも特徴です。もっとも有名なのは青森県で出土した遮光器土偶でしょう。
縄文人の成人の儀式として知られるのが抜歯。発掘される縄文人たちの遺骨を見ると、意図的に歯を抜いたものが多数あります。
また、縄文時代の人々は万物に霊が宿るというアニミズムを信仰していました。死霊の存在も信じられていたようで、遺体の手足を折り曲げて葬る屈葬が主流でした。
(屈葬)
縄文時代の代表的な遺跡
(三内丸山遺跡:wikiより)
縄文時代の代表的な遺跡は、何といっても青森県にある三内丸山遺跡でしょう。かつて、縄文時代の人々は100人以上集まって集落を作るとは考えられていませんでした。その常識を覆す大規模な遺跡だったんです。
同じ青森県には遮光器土偶が出土した亀ヶ岡遺跡もあります。縄文時代の青森は、多くの人を養うだけの食糧があったのでしょう。
一方、九州にあるのが菜畑遺跡と板付遺跡。どちらも、縄文晩期から弥生初期にかけての遺跡で水田耕作の跡が見られます。
東京にある大森貝塚は明治時代にモースが発見した遺跡です。貝塚の研究は縄文時代の人々の生活を明らかにするうえでとても役に立ちました。
まとめ
縄文時代は今から1万から1万2千年位前に栄えた狩猟・採集・漁労の時代です。前の時代の旧石器時代とは異なり、竪穴住居に定住していました。
縄文時代は、食べ物が豊富になった時代で、それらを縄文土器で煮炊きして食べます。石器も磨製石器が使用されるなど、レベルアップしました。
また、大規模な交易がおこなわれており、黒曜石やサヌカイト、ひすいなどが遠隔地に運ばれます。
縄文文化は、三内丸山遺跡や亀ヶ岡遺跡、菜畑遺跡、板付遺跡などの発掘により明らかにされます。旧石器時代や弥生時代との比較が入試でよく聞かれるので、しっかりと縄文時代の内容を整理しましょう。
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次の記事「弥生時代の文化・生活・水耕農耕・遺跡について解説【受験に役立つ日本史B 第3回】」
前回の記事「旧石器時代の特色とその文化(遺跡の場所まで解説)【受験に役立つ日本史B 第1回】」
コメント
青森県つがる市遮光器土偶。地図の名称。亀ヶ丘→亀ヶ岡にていしてください。間違えてます。
ご指摘有難うございます。おっしゃるとおりですね。訂正しました。