こんにちは。今回から日本史Bの解説をしていきます。第一回は旧石器時代について述べていきいます。
かつて、日本には旧石器時代は存在せず、磨製石器などの新石器を用いる縄文時代から人類の歴史が始まると考えられていました。
しかし、近年の発掘調査などによりシンプルな打製石器を使った旧石器時代の痕跡が日本各地に眠っていることが判明しました。今回は、縄文時代以前の旧石器時代について文化など入試に必須な知識をまとめます。
- 旧石器時代の人々は大型動物を狩ることで生活していた
- 旧石器時代の石器は打製石器
- 打製石器は、打製石斧・ナイフ形石器・尖頭器の3つが大事
- 地図問題で一番聞かれるのは岩宿遺跡。発見者の相沢忠洋とセットで覚える
- 化石人骨は山下町洞人、港川人が沖縄で、浜北人が静岡であることも覚えましょう。
旧石器時代の特色と打製石器と磨製石器の違いについて
(ナウマンゾウ:wikiより)
旧石器時代は、次の時代である縄文時代と比べると寒冷で乾燥した気候でした。ナウマンゾウやオオツノジカ、マンモス、ヘラジカなどの大型動物が数多く生息していた時代です。
旧石器時代は現在よりも海面が低かったので、ユーラシア大陸と地続きでした。日本人の祖先たちは、こうした大型動物たちを追いかけるようにして日本列島に入ってきたと考えられます。
農耕はまだ行われておらず、狩猟や採集で生活していたと考えられます。
人類の歴史のうち、石器を主に使用していた時代を石器時代といいます。石を打ち欠いただけ打製石器を使用する時代を旧石器時代、加工を施した磨製石器を使用する時代を新石器時代といいますね。日本では、縄文時代が新石器時代にあたります。
代表的な打製石器は打製石斧、ナイフ形石器、尖頭器の3つです。打製石斧は切る・削る、ナイフ形石器は切る・刺す、尖頭器は刺すことが主な使用法でした。
旧石器時代の人々は、一定の範囲内を移動しながら生活していました。縄文時代以降の人々のように大人数で定住していたわけではなさそうです。彼らは簡単なテント式住居や洞穴・岩陰を利用して一時的な住居としていたと考えられます。
旧石器時代(先土器文化時代) | 打製石器(石斧、ナイフ形石器、尖頭器) |
新石器時代(縄文時代) | 磨製石器 |
旧石器時代の遺跡と化石人骨
(岩宿遺跡:wikiより)
それでは、旧石器時代の遺跡と人骨化石について、入試に必要な範囲で解説をしていきます。しっかりと理解していきましょう。
旧石器時代の遺跡について
旧石器時代を代表する遺跡は、なんといっても群馬県の岩宿遺跡です。1946年に在野の考古学者だった相沢忠洋が発見した遺跡です。
(相沢忠洋:相沢忠洋記念館より)
相沢による発見の前、関東ローム層からは人類の痕跡が見つかっておらず、縄文時代以前の文化はないものと考えられていました。しかし、相沢が関東ローム層から打製石器を発見したことにより、日本にも旧石器時代があったことが裏付けられました。
1964年には、大分の早水台遺跡で、石英でできた打製石器が出土しました。
1970年から10年がかりで発掘された泉福寺洞穴遺跡では、ナイフ形石器や旧石器時代後期につくられた木材に石片を埋め込んだ細石器が出土します。泉福寺遺跡は縄文と旧石器の中間の遺跡と考えられます。
旧石器時代の人骨について
また、旧石器時代の人々のものと思われる化石人骨も各地で出土しました。しかし、2000年に旧石器時代の遺跡が捏造された問題を受け、化石人骨も精査されます。その結果、以下の化石人骨が旧石器時代のものと確認されました。
一つ目は沖縄県で発見された山下町洞人。1968年に出土した6歳前後と思われる子供の骨でおよそ3万2千年前のものと推定されます。
二つ目は同じく沖縄県の港川人。石灰岩の割れ目から9体分の化石人骨が出土します。これらの人骨は1万8千年前のものと推定されました。
三つ目は静岡県の浜北人。1960年から1962年に頭骨などがみつかったもので、今から1万4千年前のものと指定されます。
まとめ
旧石器時代は文字資料がなく、遺物も限られているため現在でも新たな発見により教科書の内容が変わりうる分野です。そのため、受験において出題されることは次の縄文時代との比較が中心でした。
また、代表的遺跡である岩宿遺跡は地図でも出題されやすいので、場所をしっかり確認しましょう。
最後に日本史を全体的にわかりやすく理解するためには「一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた」がおすすめです。難関大レベルに出題されるレベルの深さはないですが、全体を理解し流れを頭に叩き込むにはおすすめの一冊です。ぜひとも一読をおすすめします。
次の記事「縄文時代の文化(習俗や土器や遺跡など)を解説【受験に役立つ日本史B 第2回】」
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