今回はラクスマン・レザノフの来航や、異国船打払令・ペリー来航・日米和親条約・日米修好通商条約など、幕末の外交について詳しく解説します。
最後には語呂合わせや入試問題も用意しているので、ぜひ最後までお読みください。
この記事からわかること
・幕末の外交で起きた重要な出来事
諸外国の来航
(レザノフ:wikiより)
日本に来航した順番はロシア→イギリス→アメリカです。この大まかな流れを頭に入れたうえで本文の内容を読んでみてください。
ロシア
1792年にロシア使節ラクスマンが根室に来航し、日本人漂流民を送り届けました。しかし単に人助けをするためだけに日本にやってきたのではありません。ではなぜラクスマンは日本に来たのでしょうか?それは日本と貿易をしたかったからです。ですが長崎への入港許可書をもらっただけで、貿易はできずに帰国します。
ラクスマンの来航を受け、幕府は近藤重蔵・最上徳内に択捉島を探検させるとともに、東蝦夷地を直轄化しました。蝦夷地をロシアに奪われるのを防ぐためです。
すると今度はロシア使節のレザノフが1804年に、ラクスマンが持ち帰った入港許可証を持って長崎に来航します。このとき日本が冷淡な対応をして使節を追い返したため、ロシア船は樺太や択捉島を攻撃しました。
そこで幕府は守りを強化する目的で1807年に、東だけではなく西も含めて蝦夷地すべてを直轄にして松前奉行の支配のもとに置きます。また翌1808年には、間宮林蔵に樺太を探検させました。ここで樺太が島だと気づきます。
その後ロシアとはゴローウニン事件をきっかけに関係が改善されたため、蝦夷地を松前藩に還付しました。
これに対してロシアは翌1812年に高田屋嘉兵衛を抑留しました。しかし嘉兵衛は1813年に日本へ送還され、彼らの尽力もあり、ゴローウニンは釈放され、事件は解決しました。
イギリス
間宮林蔵が樺太を探検した年と同じ1808年、イギリスはオランダ船を追いかけて長崎に侵入し、挙句の果てには日本に対して薪水・食料まで強要する暴挙に出ました。これがフェートン号事件です。
幕府は当初、異国船に対しては薪水・食料を与えて帰国させる方針をとっていました。
しかしあまりにもイギリスの態度がひどかったので、幕府は1825年に異国船打払令を出して、清とオランダ船以外の外国船を撃退するよう命じました。
アメリカの来航
1837年、海で遭難していた日本人漂流民の返還と通商交渉のためにアメリカ商船モリソン号が来航します。ところが異国船打払令を出していた幕府はこれを打ち払ってしまいました(モリソン号事件)。
これに対して渡辺崋山・高野長英らが幕府の対応を批判します。そこで幕府は彼らが所属していた団体(尚歯会)を野蛮な結社だということで弾圧しました。これが蛮社の獄です。
幕府は当初の薪水給与から一転、強硬な姿勢に出るわけですが、再び方針転換して1842年に薪水給与令を出します。なぜでしょうか?それはアヘン戦争で清がイギリスに屈辱的な敗北を喫したからです。中国がかなわないなら日本は…という理由ですね。
またオランダ国王は幕府へ親書を送って、開国を勧告します。しかし世界情勢に疎かった日本はこれを拒否しました。そしていよいよペリーが日本にやってきます。
ペリー来航
(ペリー:wikiより)
1853年、ペリーはアメリカ大統領・フィルモアの国書を持って浦賀にやってきます。
彼は強硬な態度で日本に接しました。そんなペリーの姿勢に日本が押され、ようやく国書を正式に受け取ります。翌年再びペリーが来航し、日米和親条約を締結しました。
具体的な内容は以下の通りです。
日米和親条約での取り決め
Ⅰ.アメリカ船に燃料・食料を提供する
Ⅱ.難破船・乗組員を見つけたら救助する
Ⅲ.下田・函館を開港して、領事を置く
Ⅳ.アメリカに一方的な最恵国待遇を認める
これに続けとばかりにイギリス・ロシア・オランダも日本に和親条約の締結を迫り、条約を結ばせました。
幕府崩壊のきっかけ
(阿部正弘:wikiより)
ペリー来航の際、日本側の代表にいたのが阿部正弘です。彼はペリーのことを朝廷に報告し、諸大名にも意見を述べさせました。
これはすなわち、幕藩体制が崩れたことを意味します。これまでの幕藩体制であれば、幕府のことは幕府が決める、つまり大名は幕府の政治に口出しできなかったわけです。
それにもかかわらず阿部正弘が大名や朝廷が幕府の政治に口出しできるようにしてしまったことで、幕府は一気に崩壊へと突き進むことになります。
日米修好通商条約
(ハリス:wikiより)
ここでは、日米修好通商条約について見ていきます。
2つの不平等
日米和親条約により、1856年に下田駐在の初代アメリカ総領事として来日したのがハリスです。彼は日本に対して通商条約の締結を強く要求します。それは和親条約を結んだだけでは、貿易はできないからです。
ハリスとの交渉に当たった老中・堀田正睦は、天皇に通商条約を結ぶ許可を出させようとしました。この許可のことを条約調印の勅許といいます。しかし孝明天皇は勅許を出さず、結局堀田正睦の狙いは不発に終わりました。
ところが大老・井伊直弼は天皇の許可なく勝手に条約を締結してしまいます。これが日米修好通商条約(1858年)です。
この条約には2つの不平等が存在していました。1つ目は、治外法権により日本人が外国人を裁くことができない点です。外国人が日本で罪を犯した場合、罪人の国の領事が裁きます。例えばアメリカ人が日本で罪を犯した場合は、当時は総領事のハリスが裁きました。
2つ目は関税自主権の欠如です。条約では、日本に関税率の決定権はなく、相互の話し合いで決まると定められていました。
ほかにも通商は幕府が管轄しない自由貿易とすることや、神奈川(のち横浜に変更)・長崎・新潟・兵庫の開港などが定められたので、あわせて覚えておいてください。
以下に日米修好通商条約の内容をまとめておきます。
2つの不平等
Ⅰ.領事裁判権(治外法権)
・日本人は外国人を裁けない=罪人の国の領事が裁く
Ⅱ.関税自主権の欠如
・日本に関税率の決定権はなく、相互の話し合いで決定する
その他の取り決め
Ⅲ.神奈川(のち横浜に変更)・長崎・新潟・兵庫の開港
Ⅳ.通商は幕府が管轄しない自由貿易とすること
これも日米和親条約と同様、アメリカに続けとばかりにイギリス・ロシア・オランダそしてフランスも締結を迫り、条約を結ばせました。
貿易の開始
貿易は1859年から、横浜・長崎・箱館(函館)の3港で始まりました。
日本からは生糸・茶・蚕卵紙・海産物などが多く輸出され、毛織物・綿織物・鉄砲・艦船が輸入されました。
ところがこの貿易で2つの問題が生じます。
1つ目は大幅な輸出超過とそれに伴う物価の上昇です。その対策として幕府は1860年に五品江戸廻送令を出して、雑穀・水油・ろう・呉服・生糸の5品は必ず江戸の問屋を経て輸出するように命じました。しかし列強の反対により、効果が出ませんでした。
2つ目の問題は、多量の金貨が海外に流出したことです。その理由は、日本と外国との金銀比価が違ったためです。幕府は、金貨の品質を大幅に引き下げる万延貨幣改鋳を行いました。
その結果、貨幣の実質価値が下がって物価上昇に拍車がかかり、かえって庶民の生活を圧迫しただけとなってしまいました。
桜田門外の変
(井伊直弼:wikiより)
時代は13代将軍徳川家定が亡くなったところへ一旦戻ります。家定には子供がいなかったため、14代将軍の座を巡って南紀派と一橋派が対立しました。
南紀派が将軍にしようとしているのは徳川慶福です。彦根の藩主・井伊直弼がバックアップしています。
対する一橋派は、水戸藩の徳川慶喜を将軍にしようとしていました。バックには越前藩の松平慶永と薩摩藩の島津斉彬がいます。3人はいずれものちに幕末の日本を動かすことになる雄藩の人物です。
結果は大老に就任した井伊直弼のパワーで、慶福(のちに家茂)が将軍の座に就きました。
争いに負けた一橋派は、井伊直弼が天皇の勅許なしに通商条約を締結したことをどんどん批判します。
井伊は、安政の大獄で一橋派を弾圧します。しかし桜田門外の変で一橋派が、井伊直弼を暗殺し、井伊の時代は終わりを告げました。
そして時代の流れはここから討幕へと向かっていきます。
今回の範囲はここまでです。続いて語呂合わせ・入試問題を用意しているので、ぜひチェックしてみてください。
語呂合わせ
ここでは幕末の外交やそれに関連した事件にまつわる語呂合わせを紹介しています。年号の暗記にお役立てください。
入試問題にチャレンジ
下線部ⓓに関連して、近世後期の対外問題への幕府の対応に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 海防上の必要から、近藤重蔵らに択捉島の探査を行わせた。
Ⅱ アヘン戦争の情報を受け、外国船に対する薪水給与を命じた。
Ⅲ ロシアとの間に軍事的緊張が高まるなか、はじめて全蝦夷地を直轄地とした。
① ⅠーⅡーⅢ ② ⅠーⅢーⅡ ③ ⅡーⅠーⅢ
④ ⅡーⅢーⅠ ⑤ ⅢーⅠーⅡ ⑥ ⅢーⅡーⅠ
まとめ
今回は幕末の外交について見てまいりました。
ラクスマンの来航から桜田門外の変まで幅広い範囲を解説しましたが、事件が起きた理由・背景を理解しながら少しずつ知識を増やしていっていただければと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
前回の記事「化政文化(葛飾北斎など)について解説(入試問題つき)【日本史第59回】」ですのでよければ読んでください。
次回の記事「討幕運動の展開(公武合体~王政復古の大号令まで)について解説【日本史第61回】」
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