中大兄皇子は孝徳天皇のもとで大化の改新を推し進めます。孝徳天皇と対立した中大兄皇子は飛鳥に去りました。孝徳天皇の死後、中大兄皇子は皇極天皇を重祚させ斉明天皇とし改革を継続します。
斉明天皇の死後、中大兄皇子が天智天皇として即位。弟の大海人皇子が天智天皇の政治を支えました。しかし、徐々に二人の間には溝ができます。
その原因は歌人である額田王を、百人一首に掲載された歌人である天智天皇と大海人皇子が取り合ったからだともいわれますね。天智天皇の死後、大海人皇子は壬申の乱で勝利し、天武天皇となりました。
今回は、天智天皇の政治や壬申の乱の原因を家系図ひもといて探ります。あわせて、年号や語呂合わせも紹介します。
- 孝徳天皇の死後、皇極天皇が重祚し斉明天皇となる
- 白村江の戦いで倭国が敗北。唐・新羅連合軍の攻撃に備えるため大野城・水城・朝鮮式山城を築造
- 天智天皇は近江令を制定し都を近江大津宮に置いた
- 天智天皇の死後、天智の子の大友皇子と弟の大海人皇子が戦う壬申の乱がおきた
- 壬申の乱に勝利した大海人皇子は天武天皇となった
中大兄皇子が天智天皇となって行った政治
(大津宮跡:wikiより)
乙巳の変後、皇極天皇の弟が孝徳天皇として即位しました。孝徳天皇の下で行われた一連の改革を大化の改新といいます。大化の改新の中心人物は中大兄皇子でした。
最初は孝徳天皇と協調していた中大兄皇子ですが、次第に孝徳天皇との仲が悪化。しまいには群臣を引きつれ飛鳥に移ってしまいます。一人取り残された孝徳天皇は難波宮で死去しました。
中大兄皇子は皇極天皇を再び即位(重祚)させました(斉明天皇)。中大兄皇子自身は皇太子のまま、政治の実権を握ります。
660年、日本と友好関係を結んでいた朝鮮半島の百済が、唐と新羅の連合軍によって滅ぼされます。斉明天皇と中大兄皇子は百済再興を支援し朝鮮半島への出兵を決めました。
しかし、661年に斉明天皇が死去。中大兄皇子は皇太子のまま、日本の政治を動かします。663年、朝鮮半島にわたった日本軍(倭国軍)は白村江で唐・新羅連合軍に敗北してしまいました。
(白村江の戦い)
中大兄皇子は唐・新羅連合軍の侵攻に備え、九州北部に大野城と水城を築城。さらに、瀬戸内海沿岸に多数の朝鮮式山城を築きました。
667年、中大兄皇子は近江大津宮に都を移し、668年、ようやく天皇に即位しました(天智天皇)。天智天皇は668年に近江令を、670年には初の戸籍である庚午年籍を作成し、律令国家を目指します。
歌人額田王を百人一首の歌人である天智天皇と大海人皇子がとりあい?家系図を見ながら、壬申の乱の原因を探る。年号、語呂合わせも併せて紹介。
(wikiより:元明天皇までに編集、弘文天皇は大友皇子のこと)
天智天皇と大海人皇子はともに皇極天皇の子です。天智天皇が即位したとき、皇太弟となったのは大海人皇子でした。しかし、大友皇子が成長すると大海人皇子は皇太子の位を大友皇子に譲ります。
天智天皇と大海人皇子は歌人の額田王を取り合ったという伝承があります。額田王についてはよくわかっていないことが多いのですが、三人とも歌人であることから歌人同士、何らかの意気投合はあったかもしれませんね。
671年、天智天皇が病の床に臥せると弟の大海人皇子を呼び寄せます。そして、自分の死後に天皇になれと遺言しました。
しかし、大海人皇子は天智天皇の遺言を辞退します。すぐに髪をそって僧侶となり吉野に去りました。そのため、天智天皇の子である大友皇子が次の天皇となります。
大海人皇子は兄の性格をよく知っていたので、下手に次の天皇になることを承知すれば、大友皇子の障害になると判断され粛清されるかもしれないと恐れたのでしょう。
天智天皇が死去すると、大海人皇子は吉野を脱出します。東国で兵を募って近江大津宮を攻めようとしました。壬申の乱の始まりです。
壬申の乱は終始、主導権を握り続けた大海人皇子の有利に進みます。672年7月、大海人皇子の軍が近江大津宮を制圧。大友皇子が自殺し、壬申の乱は大海人皇子の勝利に終わりました。大海人皇子は即位し天武天皇となります。
壬申の乱の年代(年号)は672年。
語呂合わせは
7世紀後半ということも併せて覚えましょう。
まとめ
大化の改新で蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子はすぐに天皇になりませんでした。孝徳天皇や斉明天皇のあとで天智天皇となります。
天智天皇は白村江の戦いで敗れたのち、大野城や水城、朝鮮式山城などの防御施設を整えます。また、近江令の制定や庚午年籍の作成を行い、律令国家建設をめざしました。
天智天皇の死後、天智天皇の子の大友皇子と天智天皇の弟の大海人皇子が皇位をめぐって対立する壬申の乱がおきます。壬申の乱に勝利した大海人皇子は天武天皇となりました。
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