こんにちは。今回は、古墳時代とはどのような時代か、豪族たちが葬られた古墳から出土する副葬品などから、生活、服装などについてまとめます。
古墳時代の後半には飛鳥時代も含まれますが、今回は前方後円墳などがつくられた典型的な古墳時代を中心的に取り上げます。
- 古墳時代は前期・中期・後期にわけられ、後期は飛鳥時代も含む
- 前期の代表は箸墓古墳、中期は大仙陵古墳や誉田御廟山古墳、後期は藤ノ木古墳や高松塚古墳が良く出題されます。
- 竪穴式石室は前期から中期に、横穴式石室は後期に使われた埋葬形式
- 群集墳は後期の古墳
- 副葬品から、墓の主は、前期は司祭者的、中期は武人的性質を帯びていた
飛鳥時代も含む古墳時代とはどんな時代?古墳時代の区分と代表的な出来事
(五色塚古墳:wikiより)
古墳時代は、大きく3つの時期に区分することができます。近畿地方を中心に大型古墳が作られた前期、全国各地に前方後円墳などが作られた中期、規模が小さくなった後期です。後期の最後の100年間は飛鳥時代ともいわれますよ。
前期の出来事の代表はヤマト政権の成立です。
倭国と朝鮮半島の国である高句麗が朝鮮半島で戦ったのはこの時代と考えられます。所謂、倭・高句麗戦争と呼ばれているものです。この戦争については日本書紀、三国史記、好太王碑などに記録されています。
また、この時代の代表的な古墳は箸墓古墳です。現在の奈良県桜井市にあります。一説によれば卑弥呼の墓といわれたりもしますが、確かなことは不明です。
(箸墓古墳:wikiより)
中期の出来事は、倭の五王による中国への使者派遣でしょう。倭の五王(讃・珍・済・興・武)は朝鮮半島や日本国内の争いで有利に立つため、中国の南朝の宋の権威を借りようとしたと考えられます。
詳しくは、「【世界史B】魏晋南北朝時代【受験に役立つ中国史】第四回」を読んでください。
中期の代表的古墳は大仙陵古墳や誉田御廟山古墳、五色塚古墳、江田船山古墳ですね。
(大阪府堺市にある大仙陵古墳:wikiより)
後期の代表的な出来事は、527年に起きた磐井の乱と、6世紀末の推古天皇の即位です。九州北部の豪族磐井が新羅と手を組んで起こした磐井の乱は、ヤマト政権に衝撃を与えました。
その後、ヤマト政権は屯倉(みやけ)を全国に作って支配を強化していきます。ぜひとも、「磐井の乱の謎」をぜひとも一読してみてはいかがでしょうか。
後期の代表的古墳は藤ノ木古墳や吉見百穴、石舞台古墳、高松塚古墳です。
(古墳の場所)
前方後円墳をはじめとする大王や豪族の墓の形式とは?
(高松塚古墳:wikiより)
古墳はいくつか形式に分けられます。丸い形の円墳や四角い方墳もありますが、一番有名なのは前方後円墳でしょう。全国各地に残る巨大古墳の大半が前方後円墳です。
古墳時代の前期から中期、死者は竪穴式石室に葬られました。棺を石室に収めたら、上から土をかぶせて埋葬します。後期になると、横穴式石室が主流となります。横穴式の場合、あとからほかの人を追加で埋葬することもできました。
古墳の規模は中期の前方後円墳が最も大きく、後期は中小の古墳が寄り集まった群集墳に変化します。8世紀(奈良時代)に入ると、古墳はほとんど作られなくなりました。
古墳時代の生活や服装などがうかがえる副葬品や古墳時代の人々の暮らし
(高松塚古墳壁画:wikiより)、
墓の主と共に埋葬された副葬品は、当時の生活や服装などの風俗をうかがうことができる大切な史料です。
たとえば、古墳から出土する埴輪を見ると、当時の建物や使っていた道具などがよくわかります。人物埴輪の中には、古墳時代独特の髪型であるみずら(角髪)のものもあります。
(聖徳太子像:wikiより)
また、前期古墳から出土する勾玉や玉杖、銅鏡などは墓の主が司祭者的な要素を持っていたことを表します。卑弥呼に近いイメージですね。
(勾玉)
中期古墳からは武具や馬具が出土します。これらは、倭の五王が周辺地域を征服したという『宋書』倭国伝の内容とも一致し、武人的性格が強かったと考えられますね。
古墳時代の遺跡からは、当時の人々が住んだ竪穴住居の跡が見つかりました。弥生時代との大きな違いはカマドを持った家だということ。生活レベルが上がっていますね。
地域の支配者である豪族は、濠を巡らせた大きな館に住んでいました。館の中には大型建物や儀式を行う祭祀の場などがあります。
古墳時代は現在の神道につながる日本古来の信仰が形成された時代でもありました。心身の罪や穢れを洗い流す禊や水を使わずに穢れを取り除く祓などは、古墳時代に存在していました。
信仰の対象は自然です。奈良盆地にそびえる三輪山や福岡県の沖合にある沖ノ島などは山や島がそのままご神体としてあがめられました。
(三輪山:wikiより)
まとめ
古墳時代とは、大王や豪族の墓である古墳が盛んに作られた時代のことです。代表的な古墳は前方後円墳。古墳は飛鳥時代までつくられましたが、奈良時代以降は衰退しました。
古墳時代は日本人による文字の記録がありません。古墳時代の出来事の研究は、中国の歴史書と遺跡の発掘が中心です。特に、墓の主と一緒に埋葬される副葬品は、当時の生活や服装などを現在に伝えてくれます。
前期古墳からは司祭者的性格の、中期古墳からは武人的性格を示す副葬品が出土しています。入試でも、副葬品はよく出題されるので資料集などで確認しておきましょう。
最後に日本史を全体的にわかりやすく理解するためには「一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた」がおすすめです。難関大レベルに出題されるレベルの深さはないですが、全体を理解し流れを頭に叩き込むにはおすすめの一冊です。ぜひとも一読をおすすめします。
次回の記事「古墳時代の国家形成や氏族制度について【日本史B 第6回】」
前回までの記事「邪馬台国前後の後期弥生時代について解説(邪馬台国の場所も!)【日本史B 第4回】」
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