こんにちは。今回も受験に役立つヨーロッパの歴史シリーズをはじめます。ヨーロッパ編いよいよ最終回です。近現代シリーズ第16回は第二次世界大戦を取り上げます。
前回は、「【世界史B】受験に役立つヨーロッパ史(ファシズムの台頭)【近現代編その15】」についてイタリア、ドイツの第一次大戦後についてお話をしました。今回はこれらの国を中心に第二次世界大戦について述べていきます。
[L1_wsbStart][L_wsbAvatar]https://wearewhatwerepeatedlydo.com/wp-content/uploads/2019/10/43ca64de9520f178ab62afe94fdec80d-e1571795746292.png[L_wsbName]たかし君[L_wsbText]ところで、第二次世界大戦以降は取り上げないのですか?[L_wsbEnd]
[L1_wsbStart][L_wsbAvatar]https://wearewhatwerepeatedlydo.com/wp-content/uploads/2019/10/teacher.png[L_wsbName]S先生[L_wsbText]第二次世界大戦以降は現代史編ね。とりあえず、ここまででヨーロッパはお終い。[L_wsbEnd]
[L1_wsbStart][L_wsbAvatar]https://wearewhatwerepeatedlydo.com/wp-content/uploads/2019/10/ikemen-sensei.jpg[L_wsbName]E先生[L_wsbText]長かったな。合計37回もあったからな…[L_wsbEnd]
さて早速今回の話に入っていくのですが、イギリスのチェンバレンによる宥和政策は破綻しヒトラーの侵略の矛先はポーランドへと向けられます。ソ連のスターリンはミュンヘン会談から排除されたことでイギリス・フランスに失望し、ヒトラーと急接近します。
1939年にヨーロッパで始まった戦争はアジア・太平洋地域にも拡大。第一次世界大戦を上回る被害を世界に与えました。当時の地図について以下にまとめました。理解してください。
(第二次世界大戦直前の地図)
今回の記事のポイント・第二次世界大戦前の国際関係は入試頻出事項
・ドイツは電撃戦でフランスを撃破。しかし、イギリスは降伏せず
・ヒトラーは独ソ不可侵条約を破棄。独ソ戦が始まる。
・真珠湾攻撃によりアメリカは連合国に参加
・連合国首脳による会談も入試の頻出事項。会談の順番に注意
・ドイツは東西から挟まれて敗北。第二次世界大戦が終結した
第二次世界大戦直前の国際関係
(独ソ不可侵条約:wikiより)
第二次世界大戦直前の国際情勢についてまとめます。まず、ドイツはイタリア・日本と三国防共協定を結んでいました。特にイタリアとはベルリン=ローマ枢軸でしっかりと結びつきます。
イギリスとフランスは対ドイツで協調していました。その後ろ盾にアメリカがいます。しかし、アメリカは中立法があったためイギリスやフランスと同盟関係ではありませんでした。
ソ連は、当初は反ドイツの立場でしたがミュンヘン会談をきっかけにイギリス・フランスに不信感を持ち、自国防衛のためにもヒトラーとの関係改善を図ります。
東アジアでは日本が日中戦争を継続中で、アメリカ・イギリス・オランダ・中国が日本を包囲するABCD包囲陣を形成していました。
1939年8月、驚きのニュースが世界を駆け巡りました。ソ連がドイツとの間で独ソ不可侵条約を締結したのです。これにより、ヒトラーはイギリス・フランスとソ連による挟み撃ちを回避できるようになります。
[L1_wsbStart][L_wsbAvatar]https://wearewhatwerepeatedlydo.com/wp-content/uploads/2019/10/teacher.png[L_wsbName]S先生[L_wsbText]なんだかんだで、挟み撃ちが一番戦争で怖いのよね。後ろから敵が来るって。だから、背後から敵がこない状況は何よりも大事なの。[L_wsbEnd]
ヒトラーはソ連と秘密協定を結び、バルト三国やポーランド東部、フィンランドなどをソ連が支配することを認めるかわりに、ポーランド回廊などポーランド西部をドイツが支配すると取り決めます。
ドイツの電撃戦と戦火の拡大
(バトルオブブリテン:wikiより)
1939年、ドイツはポーランドにダンツィヒの返還とポーランド回廊を割譲するよう要求しました。ポーランドはイギリス・フランスに支援を約束されたためヒトラーの要求を拒否します。ドイツは1939年9月1日にポーランドに宣戦布告します。第二次世界大戦がはじまりました。
1940年に入るとドイツ軍は西部戦線でも攻勢に出ました。1940年4月、ドイツはデンマーク・ノルウェーなどを制圧します。5月にはオランダ・ベルギーを制圧しました。怒涛の進撃をみせるドイツ軍はフランス軍をはるかに上回るスピードで戦車部隊を展開。パリを占領しフランスを降伏させました。
ドイツ空軍は連日のようにイギリスの首都ロンドンを空襲し、イギリスの戦意を削ごうとします。しかし、イギリスは首相のチャーチルの元、ドイツ軍に頑強に抵抗しイギリス上空の戦い、バトル=オブ=ブリテンに勝利します。イギリスは降伏を免れました。
[L1_wsbStart][L_wsbAvatar]https://wearewhatwerepeatedlydo.com/wp-content/uploads/2019/10/teacher.png[L_wsbName]S先生[L_wsbText]チャーチルは偏執狂とも言えるほどヒトラーを敵視し徹底抗戦を主張しました。[L_wsbEnd]
独ソ戦の開始
(クルスク戦車戦:wikiより)
1940年9月、ソ連は密約にもとづきポーランド東部に侵攻します。さらにバルト三国を併合します。1939年11月、ソ連軍はフィンランドに侵攻しました。ソ連は国際連盟を除名されます。しかし、フィンランド軍の激しい抵抗によりソ連は戦争を止めざるを得ませんでした。
イギリスを屈服させることに失敗したヒトラーは1941年6月、ドイツ軍にソ連侵攻を命じました。独ソ戦の始まりです。奇襲を受けたソ連軍は敗走を重ねモスクワやレニングラード周辺まで攻め込まれました。
1941年から42年にかけて、ドイツ軍はロシアの寒さ「冬将軍」に苦しめられます。補給線が伸びきったドイツ軍は寒さと飢えのためこれ以上の進撃が難しくなっていました。
1942年8月、戦局を打開するためドイツ軍は南部の重要都市スターリングラードの攻略を目指しましたが失敗。ドイツは戦争の主導権を失いソ連軍が各地で優勢になりました。
連合国の反撃とイタリアの降伏
(破壊されたシチリア:wikiより)
1941年12月、日本が真珠湾を攻撃するとアメリカが日本に対して宣戦布告します。同時に、日本の同盟国であるドイツ・イタリアと戦争状態に入りました。
公然と行われるようになったアメリカの支援によりイギリスは息を吹き返します。1943年にスターリングラードでドイツ軍が大敗すると、北アフリカでも連合軍はドイツ・イタリア軍に勝利しました。
1943年7月、連合軍はイタリア領のシチリア島に上陸。ムッソリーニはイタリア国内で逮捕されファシスト党は解散となりました。ムッソリーニの後を引き継いだバドリオは連合国に降伏し戦線離脱します。
連合国の戦争処理会談
(ヤルタ会談:wikiより)
アメリカ参戦の前にあたる1941年8月、ローズヴェルトとチャーチルは大西洋上で会談。アメリカ・イギリス両国は枢軸国との戦争目的や戦後の国際協調について合意し大西洋憲章を発表しました。
1943年11月、アメリカ・イギリス・中国はエジプトのカイロで会談し対日戦争について協議します。1943年のテヘラン会談ではアメリカ・イギリス・ソ連が会談しノルマンディ上陸作戦の実施が決まりました。
1945年2月、アメリカ・イギリス・ソ連はヤルタで会談します。ドイツの敗色が濃厚となると対ドイツの戦争処理やソ連の対日参戦などをきめたヤルタ協定を結びました。日本史でも有名ですね。ドイツ降伏後の1945年7月、ポツダムで再びアメリカ・イギリス・ソ連が会談。日本に無条件降伏を勧告しました。
戦争の終結
(ヒトラーの死:wikiより)
第二次世界大戦にアメリカが参戦したことで、連合国は戦力的に優位になります。1942年のミッドウェー海戦、1943年のスターリングラードの戦いで敗北した枢軸国は連合国に追い詰められていきました。
1944年6月、連合軍はノルマンディ上陸作戦を成功させフランスに上陸します。2か月後、連合軍はパリを解放しました。ヨーロッパにおけるドイツの敗北はほぼ確実なものになります。
東からはソ連軍が、西からはアメリカ・イギリス、そして復活したフランス軍がドイツ軍を挟撃し追い詰めました。1945年4月30日、ヒトラーはベルリンの総統官邸の地下で自殺します。ナチス=ドイツは崩壊し、ヨーロッパでの戦いは終結しました。
日本はご存知の通り、2度の原発を落とされて、無条件降伏しました。とにかく、1945年に第二次世界大戦は終結します。
まとめ
受験に役立つヨーロッパ史、いかがだったでしょうか?エーゲ文明に始まり全部で37回も講義をしました。なかなかの分量ですね。
このヨーロッパ史の中で常に思うのは人間の営みとは常に決断の連続で、今の我々は様々な人の決断の末にたどり着いた現在であるということです。第二次世界大戦以降は現代史で講義をしようと思います。
ただ、その前にインドやオリエント、中国などの国の古代から話をしていく方が受験生にも有益でしょう。我々はなぜ、いまのように存在し得たのか、勉強の中でもしかしたらその答えの一端が見つかるかもしれませんね。
人間の苦悩と挑戦と発展、を今後も見ていきましょう。みなさんの勉強ライフに幸があらんことを切に願っています。
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