みなさん、こんにちは。今回のテーマは、戦後日本の安全保障体制です。
自衛隊の創設過程やこれまでの活動歴、日米安全保障体制の歴史についてわかりやすく解説しました。
また記事の後半には入試問題を用意しています。学習した内容の復習ができるので、最後まで読んでみてくださいね。
この記事からわかること
・自衛隊の創設過程・これまでの活動歴
・日米安全保障体制の歴史
・平和実現に向けた日本政府の取り組み
戦後日本の安全保障体制とは
(自衛隊:wikiより)
自衛隊創設・活動の歴史
戦後の日本の安全保障政策を語るうえで自衛隊は不可欠な存在です。
まず1950年に、自衛隊の前身として警察予備隊が創設されます。当初は国内の治安維持を目的に組織されました。
警察予備隊は1952年に保安隊へと名称が変わり、さらにパワーアップします。
そして1954年に保安隊は自衛隊へと発展しました。自衛隊が創設された目的は、名前のとおり自国の防衛です。
自衛隊に名称が変わった1954年、日米間でMSA協定が締結されます。
MSA協定により、日本はアメリカから軍事・経済援助を受けられるようになった一方、自衛力の強化が義務づけられました。
つまり、自衛隊はMSA協定をきっかけに誕生した組織なのです。
自衛隊は冷戦終結後に、海外派遣を開始しました。
湾岸戦争が終結した1991年のことです。ペルシャ湾の水中にある爆弾を除去するため、自衛隊が派遣されました。自衛隊にとって初の海外派遣です。
翌1992年にはPKO(国連平和維持活動)協力法が成立し、PKO参加5原則に基づく自衛隊の海外派遣が認められました。
① 紛争当事者間で停戦合意がなされていること
② 紛争当事者が受け入れを同意していること
③ 中立的立場の厳守
④ 独自判断で撤退が可能
⑤ 武器使用は隊員の防護に限定
のことです。
PKO協力法が成立した1992年、PKO協力法に基づく初の海外派遣が行われました。行き先はカンボジアです。
翌1993年以降も自衛隊の海外派遣が実施されました。以下の表をご参照ください。
年 | 派遣された場所 |
1991年 | ペルシャ湾派遣 |
1992年 | カンボジアPKO |
1993年 | モザンビークPKO |
1994年 | ザイール(現:コンゴ民主共和国)での ルワンダ難民救援 |
1996年 | ゴラン高原PKO |
1999年 | 東ティモール避難民救援 |
2001年 | アフガン難民救援 |
2002年 | 東ティモールPKO |
2003年 | イラク派遣 |
2007年 | ネパールPKO |
2009年 | ソマリア(海賊対処のため) |
2010年 | ハイチPKO |
自衛隊の主な海外派遣(オリジナル)
こうして海外派遣が行われるなか、2001年にPKO協力法が改正されました。
改正点は以下の2つです。
・自衛隊の活動範囲の拡大
・自衛隊が武器を使用できる範囲の拡大
これまで自衛隊の活動範囲は、建設・輸送・被災民救援といった限定的なものでした。
しかし改正後は、
・停戦や武装解除の監視
・緩衝地帯での駐留・巡回
・武器の搬入・搬出の検査
も可能になりました。
また他国のPKO要員や国連職員を守る際にも自衛隊が武器を使用できるようになった点もおさえておきましょう。
PKO協力法が改正された2年後の2003年には、イラク復興支援特別措置法が成立します。イラク復興支援特別措置法により、自衛隊をイラクの非戦闘地域に派遣することが可能になりました。
日米安全保障体制
戦後の日本の安全保障で重要な役割を担った国がアメリカです。
GHQの統治下にあった日本を独立させるため、アメリカは他国の反対を押し切って1951年に日本との間でサンフランシスコ平和条約を結びました。
平和条約を結んだ同じ年には、日米安全保障条約(旧安保条約)が締結されます。旧安保条約により、米軍は継続して日本に駐留することが決まりました。
旧安保条約は1960年に改定され、新しい日米安全保障条約(新安保条約)が成立します。
新安保条約では、旧安保条約にはなかった日米の共同防衛義務が明記されたほか、事前協議制度が新設されました。
新安保条約締結後、日本は防衛力整備計画に基づいて自衛隊の防衛力を強化していきました。
自衛隊の強化期間を経て、1978年には対ソ連を念頭にした日米防衛協力のための指針(ガイドライン)が策定されます。
また同年から日本では、思いやり予算が計上されるようになりました。思いやり予算とは、在日米軍の一部経費を日本が負担することを指します。
冷戦終結後の1990年代には日米安全保障体制の再定義が行われます。これまでの日本防衛からアジア・太平洋防衛へとシフトチェンジしていくわけです。
1996年の日米安保共同宣言に基づき、1997年に対中国・北朝鮮を想定した新ガイドラインが策定されます。
新ガイドラインにより、日本の周辺地域で戦争が起きた場合、自衛隊が米軍の後方地域支援を行うことになりました。
2年後の1999年には周辺事態法をはじめとして、新ガイドラインに沿った法整備が進められました。(新ガイドライン関連法)
21世紀に入り、2001年にはテロ対策特別措置法が成立します。同法により、自衛隊がテロ対策に限って、戦時下で米軍の軍事行動を後方支援できるようになりました。
平和実現に向けた政府の取り組み
戦後、日本政府が平和の実現に向けて実施した主な取り組みは、
① 文民統制の原則
② 非核三原則
③ 防衛費の対GNP比1%枠
の3つです。
① 文民統制の原則
文民統制の原則とは、軍人ではなく政治家(文民)が議会や政府を通じて軍隊(自衛隊)を統率すべきとする原則です。
自衛隊の最高指揮権を内閣総理大臣が持っているところに、文民統制の原則がしっかり反映されています。
② 非核三原則
核兵器を「もたず、つくらず、もちこませず」の非核三原則は、1967年に佐藤栄作内閣が表明したものです。1971年に国会で採択されました。
③ 防衛費の対GNP比1%枠
防衛費の対GNP比1%枠とは、日本の防衛費をGNP(国民総生産)の1%以下に抑える政策です。防衛力強化に歯止めをかけるために作られました。
1976年の三木内閣で閣議決定し、1987年に中曽根内閣が廃止するまで続けられました。廃止されたあとも1%をメドに防衛費を決めています。
2003年と2004年には有事関連法が成立しています。有事関連法とは、他国から武力攻撃を受けた場合の対応を定めた法律です。
また2007年に防衛庁が防衛省に昇格したこともおさえておきましょう。
今回の範囲はここまでです。続いて入試問題を用意しているので、チェックしてみてください。
入試問題にチャレンジ
問 下線部ⓐ(朝鮮戦争)をきっかけに設けられた警察予備隊は、後に自衛隊へと改組された。自衛隊についての記述として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 最高裁判所は、百里基地訴訟において、自衛隊は日本国憲法第9条で禁止される「戦力」に該当せず合憲であるとの判断を明らかにしている。
② 自衛隊のイラクへの派遣は、PKO協力法(国連平和維持活動協力法)に基づき行われた。
③ ガイドライン関連法によると、自衛隊は、いわゆる周辺事態の際にアメリカ軍の後方支援を行うこととされている。
④ 防衛庁が防衛省へと移行したことに伴い、自衛隊の最高指揮監督権が内閣総理大臣から防衛大臣に委譲された。
まとめ
今回は、日本の安全保障政策について解説しました。
自衛隊がこれまで行った海外派遣や日米安全保障体制の歴史を、この記事からしっかりマスターしていただければ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
前回の記事「平和主義についてわかりやすく解説(判例・入試問題も解説)【政治第16回】」をご覧ください。
次回の記事「【10分でわかる】国会の仕組みから種類・権限まで徹底解説【政治第18回】」をご覧ください。
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