昭和の文化・社会についてわかりやすく解説(入試問題つき)【日本史第82回】

今回は昭和、とくに第二次世界大戦前後の文化・教育・社会について解説します。

 

川端康成・湯川秀樹・美空ひばりといった昭和を代表する人物についても取り扱いました。

 

最後には入試問題も用意しているので、ぜひ最後までお読みください。

 

この記事からわかること

・昭和初期には、川端康成ら新感覚派が登場した。

・1949年、湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞した。

・戦後、黒澤明の作品や美空ひばりの歌謡曲が人気を博した。

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戦時中の文化

川端康成:wikiより

昭和初期には、既存のプロレタリア文学に新感覚派が台頭します。

 

プロレタリア文学は、資本家や地主のように財産を持つものではなく、労働の対価で得た賃金で生活する人々の現実生活を描いたものです。

 

一方、新感覚派は、表現技法の新しさを目指している流派を指します。新感覚派の代表的な人物は、「伊豆の踊子」の川端康成、「日輪」の横光利一です。

 

ほかにもこの時期には、島崎藤村の「夜明け前」、谷崎潤一郎の「細雪」といった大作が誕生します。

 

また日中戦争期には、火野葦平が自らの従軍体験を記録した「麦と兵隊」を発表し、評判を呼んだこともおさえておきましょう。

 

しかし、日本軍兵士の生態を描いた石川達三の「生きてゐる兵隊」は発売禁止になったうえ、1942年には戦争に協力する文学者団体として、日本文学報国会が設立されました。

戦後の文化・社会

黒澤明:wikiより

占領期

美空ひばり:wikiより

GHQによる一連の占領政策により、思想や言論に対する国家の統制が取り除かれるとともに、アメリカ的なライフスタイルや文化が次第に日本国民にも受け入れられるようになります。

 

雑誌では、「中央公論」が復刊されたほか、「世界」「思想の科学」が創刊されました。

 

学問では、1949年に湯川秀樹が日本人で初めてノーベル賞を受賞すると、同年には日本学術会議と呼ばれる、さまざまな分野の科学者を代表する機関が設立されます。

 

また1950年には文化財の保護を目的に、文化財保護法が制定されたこともおさえておきましょう。

文学では、太宰治坂口安吾のような、社会の常識に敢然と立ち向かう作家が登場しました。太宰治は「斜陽」、坂口安吾は「白痴」が代表作です。

 

また、戦後には、映画が盛んになります。とくに「羅生門」などで知られる黒澤明の作品は世界的にも高く評価されました。

 

このほか、ストーリー漫画を創作した手塚治虫や、歌謡曲では美空ひばりが登場したこともあわせて覚えておいてください。

 

S先生
S先生
美空ひばりは、「川の流れのように」などの曲で有名ですね。

 

さらに、1951年から民間放送が始まった日本放送協会(NHK)のラジオ放送は、ドラマやスポーツ中継などで大きな人気を集めました。

高度経済成長期

東京オリンピック:wikiより

1953年にテレビ放送が始まると、やがてテレビは日常生活になくてはならないものとなりました。やがて高度経済成長期に入ると、国民の消費生活にも大きな変化が生じ始めます。

 

1965年には、白黒テレビの普及率が90%に達したことに加え、電気洗濯機や電気冷蔵庫の普及率も1970年には90%前後に到達しました。また1960年代後半からは、カー(自動車)・カラーテレビ・クーラーのいわゆる3Cの普及率が上昇します。

 

S先生
S先生
カー・カラーテレビ・クーラーを3Cと呼ぶのに対し、白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫は「三種の神器」と呼ばれました。

 

小売業界では、スーパーマーケットが大きな成長を遂げます。とくに中内㓛が設立したダイエーは、1972年に老舗百貨店の三越を抜き、売上高でトップへと上りつめました。

 

また、インスタント食品や冷凍食品が普及し、外食産業が発達したのもこの時期です。

 

さらに、自家用車も普及し、1965年に名神高速道路、1969年には東名高速道路が全通しました。鉄道では、東京オリンピックが行われた1964年に東海道新幹線が開通したことをおさえておきましょう。

 

文学では、社会派推理小説の松本清張や歴史小説の司馬遼太郎が人気を集めます。

 

科学技術も大きく発展し、1965年に朝永振一郎、1973年には江崎玲於奈がノーベル物理学賞を受賞しました。

 

大きなイベントも多く行われ、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博は、日本が大きく発展したことを示したという点で大きな意味を持つものとなったことも覚えておいてください。

 

今回の範囲はここまでです。続いて入試問題を用意しているので、ぜひチェックしてみてください。

入試問題にチャレンジ

関東大震災以降、大正デモクラシーの潮流は徐々に後退していった。1924年に東洋経済新報社の主幹となった石橋湛山は、政党内閣に対し軍備縮小を要求し続けるとともに、金解禁論争などで注目を集めた。

満州事変以降、政府が思想や言論の統制を強化するなかで、共産主義者らの転向があいついだ。日中戦争、アジア太平洋戦争(太平洋戦争)へと戦争が拡大するにつれ、思想統制は厳しさを増していった。日中戦争以降、多くの文化団体が解散させられて国策への協力を求められ、ⓓ戦争とのかかわりを深めていった

石橋は、そのようななかでも、経済界の強い支持を受けながら言論活動を続け、軍部の政治介入と戦争拡大の風潮を批判した。

下線部ⓓに関連して、戦中・戦後の文化に関して述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 戦争に協力する文学者団体として、日本文学報国会が設立された。

② 石川達三が、中国戦線における日本軍を題材にした小説を執筆した。

③ 本土空襲に備えて、文化財保護法が制定された。

④ 敗戦後、黒澤(黒沢)明の映画が国際的に高い評価を得た。

2018年 センター試験 本試験 日本史B 第6問 問5より)

正解:③ 文化財保護法は、文化財の保護を目的に制定された法律であり、本土空襲に備えてつくられた法律ではないので、誤りです。

 

正解:② 沖縄返還の合意にこぎつけたのは、佐藤栄作内閣のときです。

まとめ

今回は昭和の文化について解説しました。

 

この記事を読んで、戦前の文学や戦後のライフスタイルについて理解していただければ幸いです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

前回の記事「高度経済成長期から平成の政治まで(語呂合わせ・入試問題も)【日本史第81回】」ですのでよければ読んでください。

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