中世

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両統迭立から鎌倉幕府滅亡までを解説(入試問題つき)【日本史B 第29回】

鎌倉幕府は北条氏主導の得宗専制政治と御家人の窮乏化により、衰退していきました。 一方で天皇家では大覚寺統と持明院統の対立がきっかけで両統迭立(てつりつ)が行われます。その結果後醍醐天皇が即位しました。後醍醐天皇は討幕を目指して、2度計画を立...
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鎌倉文化について(仏教、建築、文学史なども)入試問題を解く!【日本史 第28回】

鎌倉時代になると、京都の貴族たちだけではなく鎌倉の武士たちが文化の担い手となりました。平安時代までの貴族文化と新興の武士文化の二つが互いに影響しあいながら鎌倉文化が出来上がったといえるでしょう。 鎌倉時代最大の特色は仏教の革新です。のちに「...
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元寇(蒙古襲来)と鎌倉時代の政治・社会の変化【日本史第27回】

鎌倉時代の後半、日本を未曽有の危機が襲いました。東アジアの超大国である元が日本に攻め込んできたのです。この出来事を元寇または蒙古襲来といいます。鎌倉幕府は九州の武士たちを総動員して元軍を撃退しました。 その後、幕府を率いる北条氏は北条氏の惣...
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鎌倉時代の社会経済【日本史B 第26回】

鎌倉時代は武士たちの時代です。各地方に所領を持つ武士たちは拠点となる館を中心に所領開発を行います。 そうした武士たちにとって一番の財産は土地でした。そのため、鎌倉時代には武士たちによる所領をめぐる裁判が頻発します。 また、鎌倉時代は農業や商...
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承久の乱と北条氏の執権政治を解説(入試問題も解説)【日本史第25回】

源頼朝の死後、嫡男の源頼家が2代将軍となりました。しかし、御家人たちをまとめきれない頼家の独裁は間もなく停止され、鎌倉幕府の政治は有力御家人による合議制に移行します。やがて、頼家は将軍職を奪われ、弟の源実朝が3代将軍となります。 1219年...
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鎌倉幕府のしくみ(役職や経済基盤)について解説!関連入試問題も解説【日本史B 第24回】

富士川の戦いに勝利した源頼朝はそのまま一気に京都を目指すのではなく、関東に引き返し、鎌倉を拠点として関東の支配を固めました。頼朝は御家人たちと御恩と奉公という土地を媒介とした主従関係を結びます。 頼朝は侍所や政所、問注所などの鎌倉幕府の基本...
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源平の争乱と鎌倉幕府の成立【日本史B第23回】

1180年から1185年まで、源氏と平氏は日本各地で戦いを繰り広げました。この戦いを源平合戦、あるいは治承・寿永の乱といいます。 関東を制圧した源頼朝は鎌倉を根拠地と定め徐々に基盤を固めます。力を蓄えた頼朝の軍は源義仲、平氏を打ち破り治承・...
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