今回のテーマは、キリスト教です。この記事では以下の内容が学べます。
この記事からわかること
・キリスト教の成立過程(イエスの復活・パウロの活躍)
・キリスト教が発展するまでの流れ(アウグスティヌスやトマス・アクィナスの思想)
キリスト教についてはじめて学ぶ人にもキッチリ理解してもらえるよう、わかりやすく解説しました。
また記事の後半には、今回のテーマに関連した入試問題も用意しています。この記事を読むだけで基本の理解・復習ができるので、最後まで読んでみてください。
キリスト教の成立
(パウロ:wikiより)
イエスの復活
キリスト教が成立したのは、イエスの死後です。
イエスが十字架にかけられた原因の一つに、複数の弟子による裏切りがありました。
弟子たちの裏切りの例としては、下記のとおりです。
- ユダ→イエスを告発
- ペテロ(一番弟子)→イエスが捕まった際、関係者であることをくりかえし否定
しかし彼らは、師を裏切って死なせてしまったことを激しく後悔します。のちにユダは自殺し、ペテロは改心しました。
そしてペテロをはじめとする残された弟子たちの後悔が、イエスの復活という心理的体験を引き起こします。
本来死んだ者が復活するなんてありえないですよね。
でも、弟子たちはイエスが復活したと心から信じ、イエスの教えを世に広めることに命をかけたのです。
パウロの活躍
パウロは、真の意味でキリスト教を築いたといっても過言ではない人物です。彼はもともとパリサイ派の人物で、イエスの弟子を迫害する側の立場でした。
しかしイエスの死後、考え方が根本的に変わり、キリスト教へと改宗します。
パウロの主な教えは下記の2つです。
- 贖罪思想
- 信仰義認説
贖罪思想
パウロは、まずイエスの死の意味を解き明かしました。パウロの説明は以下のとおりです。
・人間は生まれながらにして罪を背負っている(原罪)
・イエスは十字架での死により、人間の罪を一身に引き受けた
→神の子イエスを救い主(キリスト)として信仰すべき=キリスト教の成立
パウロはイエスの死の意味を贖罪(しょくざい)の思想によって説明します。贖罪とは、罪をつぐなうことです。
パウロはまず、人間=生まれながらにして罪を背負う存在と考えます。
アダムとイヴが神の意志に反して禁断の果実を食べたことで、彼らの子孫である人間にも罪が継承されたと考えるわけです。
原罪は、人間が少し反省しただけでつぐなえるものではありません。人類の始祖にまでさかのぼる罪だから。
そこでイエスが十字架での死により、人間の罪を一身に引き受けてくれたと考えます。
だからこそ神の子イエスを救い主(キリスト)として信仰すべきだと、パウロは説きました。この贖罪思想こそがキリスト教の核心です。
信仰義認説
贖罪思想以外におさえておきたいのが信仰義認説です。
信仰義認説とは、律法を行為として守るのではなく、神とイエスを信仰することでのみ、救いの資格が得られる(=義と認められる)とする考え方です。
パウロは信仰・希望・愛をもって生きることを説きました。信仰・希望・愛は、のちにキリスト教の三元徳といわれるようになります。
さらにパウロは異国の人々への伝道にも努めました。パウロの活躍により、キリスト教は名実ともに世界宗教へと発展していきます。
キリスト教の発展【正統教義の確立】
(アウグスティヌス:wikiより)
紀元1世紀には「新約聖書」が成立し、キリスト教はローマ帝国にも広まっていきます。
しかし当時のキリスト教には、正統教義(正統の教え)がありませんでした。
そこで異端信仰と戦い、正統教義の確立に努めた人物がいます。そのうちの一人がアウグスティヌスです。
アウグスティヌスの思想
アウグスティヌスはまず、パウロの三元徳(信仰・希望・愛)をプラトン四元徳(知恵・勇気・節制・正義)の上位に位置づけます。
そして以下の2つを主張しました。
- 三位一体説
- 恩寵予定説
三位一体説は、父と子と聖霊が本質的には同一であるとする考え方です。父とは神、子とはイエス、聖霊とは神の意志のことを指します。
恩寵予定説とは、神から恵み(恩寵)が与えられる人とそうでない人は、神の意志によってあらかじめ決定されているとする考え方です。
人間は原罪ゆえにどうしても悪へと流されてしまいます。ゆえにアウグスティヌスは、人間には善をなす自由はないと考えます。
では人間が救われるにはどうすればいいかといえば、神による恩寵(恵み)に期待する以外ないというわけです。
トマス・アクィナスの思想
ここからは中世のキリスト教について見ていきます。9〜14世紀の西ヨーロッパは、ローマ=カトリック教会の支配下に置かれていました。
当時問題となっていたのが、「理性(哲学)と信仰(神学)のどちらが優越するか」でした。
世の中のあらゆる現象が理性だけで説明できるようになると、信仰が不要になってしまいますよね。この状況は神学者としては非常に困るわけです。
そこでトマス・アクィナスは以下のように考えました。
- 信仰と理性はそもそも扱う対象が異なっている
- 神の意志に従う信仰のほうが、思考・判断する能力である理性よりもすぐれている
イエスの復活の意味を説明するのは信仰ですが、1+1という問いに答えを与えるのは理性です。
トマス・アクィナスは、このように信仰と理性は扱う世界が異なっていると考えます。そしてあくまで信仰が理性よりも上位であると解釈しました。
入試問題にチャレンジ
問 下線部ⓕ(罪人である人間)に関して、人間の罪について考えたイエスおよびパウロの説明として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① イエスは、ファリサイ派(パリサイ派)に倣って、神が与えた律法を遵守できない人々を救われることのない罪人とみなした。
② イエスは、自分が来たのは罪人を招くためであると述べ、神の愛(アガペー)は罪人が悔い改めることを条件として与えられると説いた。
③ 深刻な罪の意識に苦しんだパウロは、神の命令に背いたアダムの罪が、生まれながらの罪として全ての人間に引き継がれていると考えた。
④ 異邦人への伝道にも従事したパウロは、神から十戒が与えられたことで全ての人間の罪が贖われたと考えた。
①:「ファリサイ派(パリサイ派)に倣って」の部分が誤りです。イエスは、律法を守れない心の弱い者を見下すパリサイ派の姿勢を厳しく批判しました。②:「神の愛(アガペー)は罪人が悔い改めることを条件として与えられる」の記述が間違っています。イエスの説く神の愛(アガペー)は無差別・平等な愛であり、万人に与えられるものだからです。ちなみにイエスの教えについて復習したい方はこちらの記事「イエスの教え(隣人愛など)をわかりやすく簡単に解説【倫理第10回】」を読んでみてください。
④:「神から十戒が与えられたことで」の部分が誤りです。パウロは、イエスの十字架での死によって全ての人間の罪が贖われたと説きました。
「自然に従って生きる」「欲望や快楽などの情念によって動かされない」などの記述が最大のヒントです。
②:「魂の三部分間の葛藤や分裂が克服され」の記述が誤りです。プラトンが提唱した「魂の三分説」を念頭に置いた記述と見られます。
③:中庸の大切さについて説いたのは、ストア派ではなくアリストテレスです。
④:エピクロス派のアタラクシア(心の平静)に関する記述です。
まとめ
今回は、キリスト教の成立・発展の歴史について解説しました。学習内容のおさらいです。
・パウロは、贖罪思想によりイエスの死の意味を解き明かし、イエスの教えを異国の人々に広めた。
・パウロの唱えた信仰義認説とは、神とイエスを信仰することでのみ、救いの資格が得られるとする考え方である。
・アウグスティヌスは、キリスト教の正統教義の確立に尽力し、三位一体説・恩寵予定説を唱えた人物である。
キリスト教をマスターするための第一歩として、上記の3点をしっかりおさえておきましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
前回の記事「イエスの教え(隣人愛など)をわかりやすく簡単に解説【倫理第10回】」をご覧ください。
次回の記事「イスラーム教とは?教えの特徴についてわかりやすく簡単に解説【倫理第12回】」をご覧ください。
共通テスト対策本は「蔭山の共通テスト倫理」がおすすめです。図解・イラスト付きで読みやすいので、受験生はもちろん、倫理をはじめて学ぶ人もご一読ください。
コメント